[対談]日本の再生医療への期待と課題
再生医療という言葉が様々なメディアで見られるようになっており、一般の関心も高くなってきている。このような中でわが国発の画期的医療テクノロジーとして注目される「細胞シート」による再生医療を開発された、岡野光夫先生から細胞シート開発の経緯や苦労された点、今後の展望などについてお話をうかがった。
わが国の医工連携の歴史
高崎 再生医療についてメディアで取り上げられる機会が増え、一般の関心も高まってきています。そのような中、世界に誇れるわが国発の医療テクノロジーである、細胞シートを用いた再生医療が現実のものとなってきています。
種々の疾患の治療方法の1つに、疾患によって障害が起こった臓器を、ヒトから体外に取り出した細胞を培養した後、ヒトの体内に移植によって戻して治療しようとする方法があります。人工臓器や移植医療とは異なる、今までの医学の方法論になかった新しい理想的な治療方法として期待されます。
細胞を用いるといっても、培養した細胞をそのまま移植しても、細胞はバラバラになったままのため、組織として機能することはありません。そこで、岡野先生は特定の細胞が密に並んだ細胞シートを作り上げる技術を確立されました。
岡野先生は、当初は工学部で学ばれたように、細胞シートを開発されるまでに様々な経験を積まれていますね。
岡野 私は1970年代に工学部応用化学科を卒業し、材料・高分子化学で学位を取得しました。当時は人工臓器の研究が大きく発展した時期にあたっていましたが、私の恩師である桜井靖久先生が東京女子医科大学(女子医大)の教授に就任されたのを機に、片岡一則先生(前東京大学)、赤池俊宏先生(前東京工業大学)、それに私の若い3人が桜井先生の許に結集して、人工材料に対する生体の反応についてバイオマテリアル研究を始めました。私は、女子医大で約5年研究を続けた後、私が抗血栓性の人工材料を研究していたことが縁で、1984年に米国のユタ大学薬学部にアシスタント・プロフェッサーとして招聘され、1986年からはユタ大学のアソシエイト・プロフェッサーとして1994年まで研究を続けました。その間1987年からは女子医大の医用工学研究施設の助教授も兼任しました。このように、ユタ大学と女子医大を往復しながら研究を続けていた、というのが私の若いころの経歴です。
高崎 当時女子医大には、心臓血圧研究所内に理論外科という講座がありましたね。
岡野 そうですね。桜井先生が医用工学研究施設と理論外科の教授を兼任されていました。桜井先生は人工心臓の開発を手掛けられていたので、これからは人工材料の研究が必須というお考えだったのでしょう。そこで、医用工学研究施設では医学部出身者以外の人を対象に、医学の基礎と臨床を1年間教育するという、世界でも最もユニークなバイオメディカルカリキュラムを実施していました。このカリキュラムは現在も継続されていますが、修了生の中から世界をリードする医療機器の開発者、産業界のリーダーが育っています。
高崎 すごいことがやられていたのですね。
岡野 そうなのです。2017年11月に医用工学研究施設の後身である先端生命医科学研究所が、共同研究教育を行ってきた早稲田大学先端生命医科学センターと共に第1回日本医療研究開発大賞経済産業大臣賞を受賞しました。授賞理由は、医工連携の教育と研究の基盤を構築し、日本に根付かせたことです。
高崎 幅広い人材を集め、非常にアクティビティの高い取り組みをされていた訳ですね。
岡野 工学部出身者だけでは医学の知識がないため、オリジナルの技術を生み出すことは難しく、海外の物まね以上のものは作れないと思います。そのことに気付かれたのは、桜井先生の慧眼といってよいでしょう。このような伝統の中で、私自身も2000年に大学院に先端生命科学専攻の新専攻を開設し、医学部卒業生、工学部修士修了生、薬学部修士修了生が共に学べる場を作りました。そして2008年には、東京女子医科大学・早稲田大学連携先端生命医科学教育研究施設(TWIns)が開設され、さらにトランスレーショナルサイエンスを研究する共同大学院ができました。
医工連携の意義と展望
高崎 続いて、医工連携の意義と展望についてお話しください。
岡野 再生医療は、細胞を培養するというバイオロジー(生物学)のみではできませんし、細胞を注入移植するという医学のみでもできません。再生医療は、きわめて基礎的なところから臨床に至るまでの横断型・技術結集型の仕組みを作ることでしか達成できません。そのような世界に先駆けた基盤が、女子医大の歴史の中で形作られてきたのだと思います。
そして2005年には国の大型10年プロジェクトとして初めての先端医療研究として、細胞シートの実用化に向けた研究をスタートさせました。このような中で、女子医大は再生医療・先端開発拠点としての役割を担い、大阪大学、長崎大学、東京大学、早稲田大学、東海大学、慈恵医科大学や女子医大の消化器外科、胸部外科、泌尿器科などと協力関係を作り、研究を続けてきました。
高崎 やはり、画期的な研究は一朝一夕にできるものではなく、岡野先生ご自身も育たれたような歴史と環境の中で生まれてくるものなのでしょうね。
岡野 その通りです。再生医療のように多方面の技術や概念の結集なしには、飛躍的進歩が望めない分野では、環境をいかに整備するかが大切です。TWInsの開設にあたっては、新しいタイプの臨床家、新しいタイプの研究者をどのようにして育てるかを皆で本気で考えようと提案しました。臨床の医師は自らの知識や技術を高め、目の前の患者を治療することに多忙です。どうしても保守的な技術踏襲型になりがちです。
一方、これまで治らないと言われてきた疾患を治すにはどうしたらよいかについては、次の次世代型の新しい仕組みを作らなければ難しいでしょう。医科系大学には、病院と同規模の研究施設が必要です。この研究施設は単なるメカニズム解析型ではなく、技術結集型でなければなりません。技術結集ができる研究施設と病院がリンクした体制が必要です。
高崎 現在のわが国では、まだ診療科ごとの縦割り研究が主流ですね。
岡野 20世紀には縦割りによって特定の疾患に資源を集中することで、効率化が図られ、世界に通用する成果も得られたのだと思います。ただ、現代の先端医療や難治疾患の治療法の開発は、これまでの方法論では難しい段階に入っています。そこで理工学テクノロジーを取り入れた横断型の仕組みを作ることが重要だと考えています。
ですから、私は今、女子医大と米国の病院・研究施設の間にパイプを作って日本の医療のグローバル化を目指そうとしています。ユタ大学では私を支援してくれ、医学部、薬学部、工学部を横断する細胞シート再生医療センターの仕組みづくりを進めています。そこに、日本で技術結集型の横断的研究の必要性を認識されている医師・研究者とリンクして多くの難病・障害に苦しむ患者を救済できる再生医療・先端医療を実現できればと思っています。
高崎 しかし、それは一種の頭脳流出ともいえませんか。
岡野 日本では定年になると研究の第一線から退かなければなりません。そうなると、いくら研究のアイデアを持っていても、それを検証する場所も人材もなくなってしまいます。その点米国では、アイデアを持っていれば年齢に関係なくラボを作って若い人と一緒に研究ができるようにしてくれますから、かなり日本とは隔たりがある訳です。
逆に女子医大にも米国から研究者が来て研究しています。私は、そのような取り組みを通して、日本人が新しいテクノロジーで世界の患者を治すために頑張ったという足跡を残したいのです。米国の誰かのお手伝いをするという気持ちでは決してなく、共鳴してくれる人たちと共に、グローバルな形で疾患を患う多くの人たちを治す仕組みづくりをしたいのです。
高崎 先生のそのような姿勢は、女子医大で形作られたものでしょうか。
岡野 そうですね。1970年から80年代の女子医大では、新しいコンセプトを作り、それに沿って新しい治療方法を開発しようという方向性ができていました。私は学生から助手になって、治らない疾患をどう治すかということの大切さを徹底的に教えられました。また、当時の女子医大には一流雑誌に論文を載せることがゴールではなく、その結果を患者に届けることが重要だという考え方もあったように思います。ユタ大学にはそのような方向性が濃厚にあります。
高崎 研究の成果を臨床で広めて活かすには、企業との協力が必要です。しかし日本では、学者は企業と結びつくのをよしとしない風潮もありますね。
岡野 そうですね。この道30年の高い技術を持った医師しか治せなかった疾患が、新技術によって経験5年の医師でも治せるようになれば、患者にとって大きな福音です。それを実現するには産業化が絶対に必要です。そのプロセスが日本ではあまりよく機能していないという印象です。逆に産業界には医師はほとんどいないため、新しい治療方法というと、外国の物まねになってしまうことが多いのだと思います。アイデアが出せる日本の医師はいるのですが、その先生を支援する仕組みが、日本にはほとんどないということではないでしょうか。
高崎 国の研究支援についてはいかがですか。
岡野 縦割り行政の問題もありますし、大学では利益が出るような研究は喜ばれないという風潮は研究開発のブレーキになるでしょう。また、行政サイドにもアカデミアでも、医療や医療産業のフロントが分かる人がリーダーになる必要があると思います。そのようなリーダーを育てられるかが大きな課題だと感じています。
高崎 しかし、何をどう変えればよいのかは、なかなか見えてこないですね。
岡野 グローバルに戦える実例を作りながら、その中で人を育てていくべきだと思います。グローバルで戦うということは、世界と協調したり競争したりしながらプロジェクトを進めてゆくことです。それを上手にできる能力は、フロントで活動することで得られると思います。ですから大学院では、技術や知識を教えることに加え、答えのないところで教授と学生が議論しながら研究を進めていくことで、極めて独創的な医療の実現を可能にし、その中で若い人が育つと考えています。
細胞シートの可能性
高崎 次に細胞シートの可能性についてお話しください。
岡野 私が今考えているのは、組織や臓器、例えば目の角膜のように表面の幹細胞が欠損して修復できなくなっている部位に、その組織由来あるいは異所組織の細胞シートを張り付けて、治してしまうということです。また、心臓、肝臓、腎臓などの線維化を起こした組織に細胞シートを張り付けて機能を取り戻すことができることを我々は見出しています。さらに、細胞シートから厚みのある三次元の組織の作成も可能になり、将来は臓器の作成も実現できると思っています。
高崎 細胞シートを張り付けるだけでは剥離することはないのでしょうか。
岡野 重要なご指摘ですね。培養した細胞はフィブロネクチンなどの細胞接着因子によって、培養皿に張り付いています。これをいかに保持したままで細胞を剥がすかがシート作成における難問の1つだったのです。従来、酵素などを使って剥がすと、容器に接着していた細胞の膜蛋白質が破損してしまい、元気な細胞を他の場所に生着させることができませんでした。私は温度変化によって溶けた状態から沈殿する状態に変わる高分子化合物を使って、温度条件を変えるだけで簡単に膜蛋白質を破壊することなく細胞を剥がす革新的な方法を発見しました。これは、酵素を用いて剥がす方法とは異なり、細胞の機能も細胞接着因子も温存したままシートが作成できることを意味しています。ですから、シートは組織表面に貼るだけで接着するだけで決して剥離しないのです。心筋の細胞シート重ねると、細胞シートの膜蛋白質が結合して、ギャップジャンクションが形成されます。そうすると拍動も完全に同期します。そうしたシートを次々と重ねるとより立体的な臓器を作ることも夢ではありません。
高崎 シートの細胞が異常増殖する恐れはないのでしょうか。
岡野 個々の細胞は相互にシグナルを出して情報交換しています。信号の中には増殖を亢進させる信号と停止させる信号があります。培養皿で培養している際にも、平面では増殖してゆきますが、培養皿の壁面に達すると増殖が停止します。同様に、生体内で増殖しても他の組織に触れるなどにより増殖が止まります。
高崎 従来日本では、細胞シートのような画期的な治療法が出てきたとき、安全性と有効性を徹底的に検証しないと臨床で使えないという風潮がありましたね。
岡野 確かにありました。しかし、過去の医療でも、完全な病態の解明はできていなくても、その時点で最良の治療法を行ってきたと思います。このような方法論は、現在の医療にも未来の医療にも当てはまるのではないでしょうか。細胞シートを使う医療も、その時々で明らかにされている知見をもとに適応してゆくという方針が取れると考えられます。わが国では、行政からの理解も得られた結果、再生医療推進法が成立し現在の状況は欧米よりも進んでいるといえます。
高崎 細胞シートによる治療の開発は、現在どの段階まで進んでいるのでしょう。
岡野 心臓、角膜、中耳、食道、歯根膜、関節軟骨などでは臨床研究が始まり、一部は治験さらに承認段階にあるものもあります。今後、企業がこの分野に参入して利益があげられるようになれば、コストも下がるし適応も増えていくと思います。さらに、女子医大やユタ大学を中核として、他家細胞由来のシートの開発など、世界の臨床家と研究者が集まって新しい治療方法の開発も始まろうとしています。
日本の医師は忙しく技術革新に参加できない
高崎 細胞シートは臓器のパーツだと考えればよいのでしょうね。今までの医療の発想にない方法ですね。
岡野 ですから、臨床のフロントで活動していて、現在の医療ができることとできないことを把握している先生方に、このような技術があることを知ってもらったうえで意見交換し、新しい研究の方向性を定めることが重要ですね。
高崎 一方、臨床ではガイドライン重視の傾向もみられます。しかし、そこからは新しい治療法は生まれてこないですね。
岡野 私は医療には2つの面があると思います。1つは、ガイドラインに沿ってできることをできる限りの完璧性を追究し、患者を治す医療です。既存の医療を最適化するためにはガイドラインは有効です。もう1つは、現在治せない人を治せるようにする医療です。その治せない人を治せるようにする医療を、これまでの医学部はあまり目指してこなかったように思われます。わたしの研究は医師の協力なくして先に進みません。しかし、日本の医師は患者さんを診ることで非常に忙しいのです。日常診療で疑問に思ったことや浮かんだアイデアを生かそうとしても、なかなか実行に移せない。もうすこし医師に時間的な余裕を与え、研究に集中できる環境を提供することが必要ではないでしょうか。その仕組みができれば、日本の医学は今以上に世界に貢献できるはずだと思います。
高崎 世界で活躍される岡野先生ならではの卓見ですね。日本の基礎研究に医師をコミットさせるには、臨床の在り方から見直す必要がありそうですね。本日はありがとうございました。
岡野光夫(おかの・てるお)先生
1949年東京都出身。74年早稲田大学理工学部応用化学科卒業。79年同大学院高分子化学博士課程修了(工学博士)。同年、東京女子医科大学医用工学研究施設助手。ユタ大学薬学部助教授、准教授を経て、94年に同施設教授に就任。99年同施設長。2001年同大学先端生命医科学研究所所長に就任。09年に日本再生医療学会理事長。2014年東京女子医科大学を定年退職し、同名誉教授、学長付特任教授に就任。2014年にユタ大学に細胞シート再生センターの発足とともにセンター長に就任。日本バイオマテリアル学会賞(1992)、高分子学会賞(1998)、江崎玲於奈賞(2005)、紫綬褒章(2009)、科学技術分野の文部科学大臣表彰科学技術賞・研究部門(2009)等国内外から多数を受賞