第31回『目覚めた巨象か?大国・インドの看板と実力』
目覚めた巨象か?大国・インドの看板と実力
インドが中国を抜いて「世界最多の人口大国」になった。経済成長率も高く、今後、世界の政治・経済・社会で存在感を増し、影響力を強めそう。G7の広島サミットにもモディ首相が招かれ、ウクライナのゼレンスキー大統領と共に注目を浴びた。「眠れる巨象は目覚めたのか」。「大国・インド」の「実力」を検証し、その行方を考える。
僕がインドに関心を持ったのは65年ほど前の中学生時代。堀田善衛の「インドで考えたこと」(岩波新書)を読んでから。以来、様々な分野の人々の「インドで人生観が変わった」との発言や記述に数多く触れ、インドは魅力ある「憧憬の国」になった。でも僕は未だインドに行けず仕舞い。その悔しさも込め、日本で今のインドを考え、「長年の憧憬を精算」したい。
インドの人口が中国を抜き、「世界最多」となったのは、「今年4月」と国連人口基金(UNFPA)は推計している。その数は14億2600万人超で、昨年11月に80億人に達した世界人口の18%弱を占める。中国は既に人口減少へ向かっており、3位の米国とは10億人超の差がある。インドの「人口世界一の座」は今世紀は揺るがないだろう。
人口でインドが中国を抜いたからと言って、「経済力などの国力」で中国を上回った訳ではない。人口増は経済成長に繋がる「人口ボーナス」を産むが、逆に経済成長を妨げる「人口オーナス」として作用する場合もある。
この20年を見るとィンドの人口増は「ボーナス」をもたらし、高い経済成長を達成、GDPを押し上げた。その規模は昨年、旧宗主国の英国を抜き、世界5位へ。このまま行けば2025年にはドイツを上回り、27年には日本を超えて「世界3位の経済大国」になる見通し。
人口ボーナスは数が多いだけでは産まれない。質が伴わなければ持続しない。その点、ィンド人は19世紀半ばから海外へ移民、今や100カ国超える地域で「印僑」として商工分野で活躍、能力を発揮して来た。世界各地で中国人の「華僑」と並ぶ実績・地盤を築いている。
近年は「英語と数学の強さ」で米国の大手IT企業のトップにNRI(在外インド人)が相次ぎ就任している。6月2日に就任したばかりの世界銀行総裁もインド系米国人。旧宗主国の英国では今や首相のスナクがNRI。因みにロンドン市長は同族とも言えるパキスタン系英国人。
こうした実績からインド高官は「インドは人的資本大国、世界最大の人材供給国」と胸を張る。
しかし、世界5位のGDPも「一人当たり」だと隣国のバングラデシュより低い。世界ランクは22年のIMF統計で147位の「貧しさ」。伝統的な身分制度のカーストが根強く残り、貧富の差が大きい。増加する若者の失業率が10数%と高いなど問題点は多い。
更に出生率が高く人口増が目立つのは少数派のイスラム教徒。このため多数派のヒンズー教徒の比率は15年に80%を割って以来、ジワジワと低下している。両派の対立は英国がインドを「分割統治」した植民地政策に起因する。47年の独立に当たってイスラム教徒はパキスタンを建国して分離した。
それでも両派の対立は解消せず、3次の「印パ戦争」が起きている。インド国内でも両派の対立による襲撃・報復のテロ事件がしばしば発生して来た。インドでイスラム教徒の比重が増えてくれば、両派の対立が深まり、国内情勢の不安定化が懸念される。
「人口大国」と並ぶ、もう1つのインドの注目点は「グローバルサウスのリーダー」である。
「グローバルサウス」は今年に入って急に盛んに使われ始めた。G7広島サミットでもインドを始め、ブラジル、インドネシア、ベトナムなど「グローバルサウス」の首脳を招き、注目された。
はっきりとした定義は無いが、地球の北半球に多い「先進国をグローバルノース」と言うのに対し、南半球に多い「発展途上国をグローバルサウス」と総称する。第2次大戦後の「東西冷戦」時代に「北半球先進国」と「南半球発展途上国」の「経済格差」が「南北問題」として問題視された。その後、南の発展途上国が経済成長し、北の先進国をキャッチアップする国も現れた。このため従来の「南北問題」の視点で新興・発展途上国を括れなくなり、「グローバルサウス」との表現が使われ始めたようだ。
インドは今年の1月中旬に「グローバル・サウスの声2023」サミットをオンライン開催した。参加国は125ヵ国にも上った。内訳はアフリカ47ヵ国、アジア31ヵ国、中南米29ヵ国などで、もちろんG7メンバーや中国、ロシアは参加していない。参加国の数は多いものの、その実態は首脳級で行なった開会セッションの参加は11ヵ国に過ぎず、他は閣僚級がオンライン参加したに留まった。
しかし、インドは今年は「G20」の議長国でもある。世界は「米国と中国の対立」に加え、ウクライナ戦争により「欧米とロシアが対峙」する「新冷戦」体制へと転回しようとしている。この危機的状況に直面し、モディ首相は「グローバルサウスのリーダー」として「各国の国益・主張の増幅と分断の橋渡し役」を演じようとしている。
インドは第2次大戦後、初代首相のネルーが、米ソ対立の「東西冷戦」体制が築かれて行く中、「非同盟・中立」を掲げ、日米欧の植民地から独立したアジア・アフリカ諸国を結集した国際会議(バンドン会議)主催、「第3世界」のリーダーとして一時的ながら存在感を示した。「新冷戦」時代を迎えての「モディの外交」は「ネルーの衣鉢を継ぐ」かに見える。
事実、モディは日経新聞のインタビューに「(インドは)安全保障上のパートナーシップや同盟に属したことはない」と「非同盟・中立」の「インドの伝統」の堅持を表明している。
しかし、インドは70年代からソ連(現ロシア)と平和友好条約を結ぶだけでなく、「合同軍事演習」を繰り返して来た。その「敵対国」と見なして来た中国が主導する「上海協力機構」にも加盟、今年はインドは議長国でもある。更にインドは中国包囲網が狙いと見られる「クアッド(Quad、日米豪印戦略対話)」のメンバーでもあり、G7広島サミットの合間に首脳会談が持たれた。
ネルーの提唱した「非同盟」は、対立勢力のどちら側にも従かず、いずれの陣営にも加わらない外交姿勢。ところがモディのインドの「外交流儀」は、どちらの側でも臨機応変に従く「コウモリ外交」、どの陣営でも加わる「全方位外交」と言える。「ご都合主義」「日和見主義」と揶揄されても仕方ないが、モディは「戦略的自律性」と主張して憚らない。「冷徹なリアリズムに基づき国益を追求している」との評価の声もあり、インドの「したたかさ」の現れでもある。
グローバルサウスの「リーダーの座」は中国とも競合する。果たしてインドの融通無碍な「外交流儀」がどこまで世界で信頼され、「第3極を形成」、新冷戦の「分断の橋渡し役」が務まるか、疑わしい。
一方、グローバルサウスも国・地域の数は多く、人口(中国を除く)は30年には世界の半分を超え、GDPは23年にはユーロ圏(英国を含む)を上回る推定だが、経済力向上は一様では無く、民族、宗教も様々で、「一枚岩ではない」。だからインドであれ、中国であれ、大国と言えども「1国でグローバルサウスをリードし、まとめて影響力を発揮する」のは難しいのではないか。
それでもインドが注目されるのは、「世界一の人口」に裏打ちされた「市場力」と「世界の成長センター」へ伸し上がって来た「インド洋」の中央に位置するからだ。
21世紀に入って世界経済の牽引力だった中国が人口減少、経済成長力の低下、専制政治の強化などで投資・貿易市場としての魅力を失いつつある。その中国に替わる投資・交易先である「チャイナ・プラスワン」としてインドが注目されて来た。今年に入って日米欧韓台などの企業のインドへの投資・事業進出が活発化している。世界のマネーは「脱中入印」の流れが加速している。
インドは「世界最大の民主主義国家」も看板の一つ。身分制度のカースト制の根強い存続などがあり、この看板は「誇大広告」との見立てもある。「共産党一党独裁の中国」との対比で「世界最大の民主主義国家」を「インドは名乗れている」との見方もある。
ロシアのウクライナ侵攻についてインドは「国連の非難決議に棄権」、「経済制裁にも加わっていない」。それどころかインドは22年の「ロシア原油」購入量を前年比10倍とダントツに増やした。どの国より「大量に安く原油を買う」一方、欧米との交易はこれまで通り進める「漁夫の利」を得ている。これではインドは「経済は成長」しても、「国際的な信頼」を得るリーダーには成れないだろう。
世界の海上交易の中心は、中世までの「地中海」から近代は「大西洋」へ、更に現代は「太平洋」へ、そして「インド洋」へとシフトして来ている。安倍晋三が「自由で開かれたインド・太平洋」を提唱、「クアッド」を形成したのは、「中国封じ込め」が狙い。それでは「インド・太平洋」は「自由で開かれた海」では無く、「リスクの高い緊張の海」になりかねない。
ただ「インド洋と太平洋を地政学的に一体で捉える」のは適切な視点。特にインド洋はこれまでは、「未来の海」と見られていたが、西は中近東・アフリカ、東は東南アジアから中国・台湾・日本・韓国へ通じる。両サイドが「世界の成長センター」として台頭して来た。その要にインドが位置する。インドの政治的、経済的ポテンシャリティは自ずと高くなる。
半世紀前、日本と中国の国交回復が実現した時、「民間人で最大の功労者」と周恩来が名指しした岡崎嘉平太は「次はインドだ」と語った。インドと中国・日本が交流を深め、関係を強化し、「アジアの地位向上を図る」が岡崎の念願だった。「世界が欧米・アングロサクソン一辺倒の支配構造は好ましくない。もっと多様であるべき」が理想だった。
第2次大戦後、世界の新たな発展と秩序づくりに国連の常任理事国となった中国の役割が期待された。中国経済は約30年の雌伏を経たが、「鄧小平の改革開放」政策により、その後の30年は平均10%近い高成長を遂げ、「世界経済を牽引する役割」を果たした。
しかし、その力はピークアウトする一方、長期・独裁化へ踏み出した習近平はウクライナ侵攻で孤立するプーチンと親密度を増し、中国パワーに対する世界の期待感はしぼみつつある。
インドは「一帯一路戦略」を進める中国のような「覇権主義」も取らない。ネルー以来の「非同盟・中立」の看板は、グローバルサウスなど「第3極を形成する新興・発展途上国」から好感されているのではないか。
ただ繰り返しになるが、余りに「国益優先、ご都合主義」の姿勢では多くの国の信頼を得るのは難しい。モディ首相はその経歴から熱心なヒンズー教徒の民族主義者。イスラム教国家が多いグローバルサウスのリーダーに相応しいかも疑問点。
それでもインドは「世界最大の民主主義国家」「世界5位(早晩3位)の経済大国」「ロシアの友好国(軍事・エネルギー関係で緊密)」「(中印紛争を繰り返しながら)中国主導の上海協力機構のメンバー」「クアッド(日米豪印戦略対話)のメンバー」「G20の議長国」などいくつもの「看板」を持つ。そして忘れてはならないのは「核保有国」。
この「多面性」が「多極化・多様化」する世界で重要な役割を果す可能性がある。それにはモディがネルーと周恩来が1954年に提唱した「平和五原則(領土主権尊重・相互不可侵・内政不干渉・平等互恵・平和共存)」に立ち返るのが要件の一つではないだろうか。
「インド人もビックリ」とは日本の食品メーカーのカレー・ルーのCMキャッチコピー。僕は「憧憬のインド」でありながら、少しスパイスを効かせた辛口評価をして来たかも知れない。それでも実は第2次大戦後「最大の危機」と言われるこの「新冷戦の時代」にインドの活躍を密かに期待している。堀田善衛は「インドは怪奇、異様、不可解」とまで評した。インドには古来、謎めいた神秘的な魅力がある。世界が「インド人にビックリ」する活躍を「モディのインド」が演じても不思議はない。(敬称略)
2023・6・6
上田 克己
プロフィール
上田 克己(うえだ・かつみ)
1944年 福岡県豊前市出身
1968年 慶応義塾大学卒業 同年 日本経済新聞社入社
1983年 ロンドン特派員
1991年 東京本社編集局産業部長
1998年 出版局長
2001年 テレビ東京常務取締役
2004年 BSテレビ東京代表取締役社長
2007年 テレビ大阪代表取締役社長
2010年 同 代表取締役会長
現在、東通産業社外取締役、日本記者クラブ会員
趣味は美術鑑賞
第30回『帰って来た日産、自動車の「大変革~Eショック」に勝ち残れるか日本メーカー(産業の興亡・企業の盛衰~part5)』