[鼎談] 過剰な延命医療による寝たきりを回避する(1)
わが国は長寿大国といわれる一方で、寝たきり状態の高齢者が多いことが指摘されている。その背景の1つに、高齢者の終末期における延命医療が当然のこととして行われている現状がある。しかしながら個別の死生観を持ち、家庭環境、社会環境も異なる方々であるので、どうあるべきか簡単に結論が得られる問題ではない。
この問題に対し、北海道中央労災病院の宮本顕二院長と医療法人風のすずらん会江別すずらん病院認知症疾患医療センターの宮本礼子センター長が共著で刊行した『欧米に寝たきり老人はいない-自分で決める人生最後の医療』(中央公論新社)が注目されている。欧米の終末期医療を見聞した経験をもとに、現状の日本の延命医療のあり方に一石を投じた両氏に、終末期医療のあるべき姿についてのお考えを、2回にわたってお話しいただいた。今回はその第1回。
現行の診療報酬体系が 延命医療の増加を助長している
高崎 近年は診断、急性期医療、慢性期医療、緩和医療、終末期医療と診療の役割分担が進み、患者さんの看取りに携わらない医師が増えています。私は「医師であれば診断から看取りまで行うのが当たり前」と教えられてきたので、現状の終末期医療のあり方に少なからず違和感があります。そうしたことを知人と話していたときに、先生たちのご著書『欧米に寝たきり老人はいない』に出会い、とても感銘を受けました。わが国では、平均寿命と健康寿命に大きなギャップがあり、その背景として寝たきりの方が多いことが指摘されています。そうした特殊な状況にあるため、先生たちのご著書はかなり反響があったのではないでしょうか。
宮本(顕) はい、新聞、テレビ、ラジオなどのマスメディアで随分取り上げていただきました。また、読者からもたくさんお手紙をいただきました。それらの内容は「自分の親は延命医療をして亡くなったが、それが正しかったのか」とか、その逆に「自然な看取りで亡くなっていったが、延命医療をすべきだったのか」など様々でしたが、延命されて寝たきりになっていることに対して、多くの方がこれでよいのだろうかと悩んでいるのだとわかりました。
ここで本のタイトルである「寝たきり老人」ですが、何もわからない状態にもかかわらず、点滴や胃瘻や経鼻チューブで栄養され、関節も拘縮し、寝返りすらできない状況で延命されている寝たきりの老人を意味しています。なかには、喀痰吸引のために気管切開をされている方もいます。
欧米ではこのような延命医療は行われていないことも紹介し、日本の高齢者の終末期医療のあり方について考えるべきではないか、というのがこの本の趣旨です。
高崎 一部の病院では経営を維持するために、終末期における延命医療を行っているとの声も聞かれます。本当にそういうことがあるのでしょうか。
宮本(礼) 延命医療が病院経営を支えているケースは少なくありません。現行の医療制度では、療養病棟で24時間持続点滴、中心静脈栄養、人工呼吸器装着を行うと入院基本料が増えます。もしそれらを行わず経管栄養も行わないと、療養病棟の患者さんの半数は亡くなり、病院経営は破綻するとさえ言われています。
宮本(顕) DPC(包括医療支払い制度)の急性期病院でも人工呼吸器を使用すると診療報酬が高くなります。一方、患者さんは高額医療費制度で一定額以上は助成されるので、延命医療で入院費用がかさんでも自己負担額は増えません。こうした仕組みも、終末期に延命医療が積極的に行われる原因になっていると思います。
宮本(礼) こうした医療制度を改革しなければ過剰な医療はなくならないと思いますが、同時に延命医療をしなくても病院経営を破綻させない方策を考える必要はありますね。
延命医療を断れない背景には 社会の要請や訴訟の可能性がある
高崎 終末期でこれ以上の延命処置は意味がないと判断しても家族が処置を希望された場合、欧米の医師はどうするのでしょうか。
宮本(顕) 私が理解している範囲で言えば、欧米では医師が医学的な適応がないと判断すれば、ご家族の要望は通りません。
高崎 日本でも、そうしたことがあるのでしょうか。
宮本(礼) 私の経験ではありません。
高崎 医師法で応召義務があるからでしょうか。あるいは社会の要請に配慮してのことでしょうか。おそらく日本の医師のほとんどが延命医療を好き好んでやっているわけではないと思いますが。
宮本(礼) 日本の医師がご家族の要望を断れないのは、訴訟になる可能性も考えるからです。希望したのに延命医療が行われないと、それは殺人だと。
高崎 裁判官がどのように判断したかはとても大きな意味があり、それが判例として残れば医療全体にとても大きな影響を与えます。
宮本(礼) 延命医療をしなかったことを告発され、結果として裁判で負ければ、そのあとは医療者全員がひたすら延命に走るようになりますね。
高崎 たとえば、患者さん自身が延命医療を望まないことを書き残したとしても、訴訟で医師側が負けることがあるのでしょうか。
宮本(顕) 今のところそれはありません。ただ医療者にとっては、訴訟で無罪になったとしても、その過程もその後もとても煩わしいことが大きな問題です。
高崎 たしかに、マスメディアも大きく取り上げますからね。病院としては、裁判による刑罰よりマスメディアに糾弾されることのほうが痛手は大きいかもしれません。
医学教育では延命ばかりでなく QODの視点も加える必要がある
高崎 延命医療をされなった方は枯れるようにと言いますか、非常に安らかに亡くなられることは事実ですし、私も数多く経験しています。ですから、意味のない延命医療を医師が止められるようにするためには、「延命医療が患者さんにとってはむしろ苦しみである」ということを社会全体に周知する必要があると思います。
宮本(礼) 自然に看取るという医療をスウェーデンに行って目の当たりにするまでは、私も延命医療をすることが当たり前だと思っていました。しかしよく考えれば、日本でも昔は自然に任せて看取っていたわけです。ただそのことを今の医療者の多くは知らないので、一般の方も知らないのは当然です。
宮本(顕) 私も研修医時代に、がん患者さんの延命処置を数多く経験しました。そうして亡くなった患者さんは全身チューブだらけで、むくみもひどい状態でした。ご家族にすぐには見せられないような悲惨な状態になります。ご家族に病室から出ていただき、ご遺体をきれいにしてから面会してもらうわけですが、そうした処置を必要とする医療がはたして正しいのかと、疑問に思っていました。
高崎 そもそも医学部教育では、完全に治すことを目指し、延命を図ることが医師の使命だと教えられ、終末期における自然死などを勉強する機会はあまりないと思います。研修医はどこでそれを学べばよいのでしょうか。
宮本(礼) 基本的には大学の老年科ではないでしょうか。病気を治すことはたしかに医学の使命ですが、人間が皆死ぬのであれば、最後はどうやって安らかに亡くならせてあげるかを考えるのも、やはり医学だと思います。老年医学はそうした考え方に立脚した学問ですので、研修医や若い医師が終末期医療を学ぶための有用な場になるように思います。QOLだけでなく、QOD(Quality of Death:死の質)にも目を向けた教育が必要だと思います。
自然死が社会の常識になれば 患者は苦しまず、訴訟の心配もない
高崎 近年の学会は何かとガイドラインを作成する傾向があります。しかし訴訟になったときに裁判官がガイドラインに沿っていないとして、医療者側を有罪にするようになると、ガイドラインが医療者の首を絞めることになります。その可能性は決して低くないと思いますので、終末期医療に関連するガイドラインは慎重に検討していただきたいですね。
宮本(礼) 現在、終末期医療に関するガイドラインとして、厚生労働省が2007年に公表した『終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン(人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン 2015年改訂)』があります。これは終末期医療の現場で患者の意思を尊重するために作られました。あまり知られていませんが、このガイドラインに沿って終末期医療を決定することが現時点ではベストだと思います。
宮本(顕) 患者さんの意思が確認できる場合はそれを基本とする、患者さんの意思確認ができない場合は家族が推定する本人の意思を尊重する、家族が患者の意思を推定出来ない場合は医療・ケアテームが家族と話し合って終末期の医療を決める、そうすれば終末期に延命医療を行わなくてもなんら問題がないと示されています。ただ、「終末期は自然の経過に任せたほうが患者さんは苦しまずにすむ」ということが社会の常識になれば、ガイドラインは不要ですし、延命医療をしないからといって訴訟になることもありません。国民の意識を変えることが何よりも重要だと思います。
宮本(礼) スウェーデンでは、法律にはなっていなくても、延命はしないということが国民の間で共通認識になっているそうです。
高崎 自然経過で亡くなることが医療者の間でのコンセンサスになり、それが社会のコンセンサスとして定着していけばよいということですね。(以下、次回に続く)
宮本顕二先生(みやもと・けんじ) 1951年生まれ、北海道出身。独立行政法人労働者健康安全機構・北海道中央労災病院長。北海道大学名誉教授。日本呼吸ケア・リハビリテーション学会前理事長。北海道大学を卒業し、同大学大学院保健科学研究院教授を経て2014年から現職。
宮本礼子先生(みやもと・れいこ) 1954年生まれ、東京都出身。医療法人風のすずらん会江別すずらん病院認知症疾患医療センター長。旭川医科大学卒業。精神保健指定医、日本認知症学会専門医、日本老年精神医学会専門医。2006年に物忘れ外来を開設し、認知症診療に従事。2012年から「高齢者の終末期医療を考える会」を札幌で立ち上げ、代表として活動している。