日本はコミュニティー重視の医療制度を構築しよう
日本と同様に少子高齢化の問題に直面している欧州は様々な医療制度の改革を実施してきた。それら施策のすべてが成功したわけではないが、医療制度改革に迫られる日本にとっても参考になるところが多いと松田教授は指摘する。
最近、『欧州医療制度改革から何を学ぶか――超高齢社会日本への示唆』(勁草書房)という本を刊行することができました。英、仏、蘭、独の欧州4カ国が実施してきた医療制度改革を俯瞰して、そこから日本の医療制度の課題をあぶり出そうと試みたものです。これらの国々は日本と同様に、少子高齢化の進展と経済の低迷により、社会保障システムの持続可能性が不安視されている国々です。保険を個人が買う米国とは異なり、基本的に皆保険を採用しているところも日本と同じです。
これらの国々は1960年には高度な社会保障制度を築いていましたが、いずれも社会保障の行きづまりを経験して種々の改革を打ってきました。4カ国とも同じ社会保障制度を取っているかというとそれぞれに国々で異なる点もあります。例えば英国は基本的に税金によって医療を支えています。一方のドイツとフランス、オランダは保険方式を採用しています。これに対して日本は税金と保険料収入の双方で医療を支えるハイブリッド型です。
欧州に学ぶべき情報の公開
日本もこれら4カ国も少子高齢化は進む一方で医療に割く財源が不足するという共通の課題を抱えています。医療改革は必至の情勢です。日本が欧州に学ぶべきポイントを3つあげるとすると、1)医療情報の標準化、2)その可視化、3)国民への説明です。行政は医療をめぐる課題を整理し、医療制度改革をめぐるメリット、デメリットを国民に説明し、その是非を問うことが重要です。日本国民の多くは国民医療費の高騰を自分の問題と捉えていません。
ドイツでは社会保障への財政支出が予算の範囲を越えて赤字になった場合は保険者が被保険者に追加保険料を求めることになっています。被保険者は保険者の運営状況などを勘案して保険者を変わることができます。この仕組みはオランダでも採用されています。
フランスでは1995年に当時のアラン・ジュペ首相(保守派)によって示された“ジュペプラン”に沿う形で改革が進められてきました。このプランは社会保障制度全体の改革案を示したもので、社会保障財政に関する議会権限の強化、国と社会保障機関の関係整理、保険者理事会の機構改革を、病院改革、老齢年金制度改革における財構造の強化と特別制度の改革、家族手当制度の所得条件の見直し給付事務の簡便化、徴取事務の改善などの様々な改革が実施されたが、日本に参考になるのは、財政年度ごとの医療支出の目標値が国民議会で議決されるシステムが導入されたことです。この結果、財政の裏付けのある社会保障の見直しが年度ごとに実施されるようになりました。
英国では、1990年にメジャー首相による“国民保健サービス(NHS)及びコミュニティケア法”が転機となりました。この法律により、医療サービスの提供者と購入者が分離され、独立した経営主体となった病院(NHSトラスト病院)のサービス地区当局(日本の都道府県に相当)が病院との価格交渉によって購入するという内部市場(疑似市場)の仕組みが導入されました。この仕組みによって地域医療のフレームワークと各病院のパフォーマンスを一致させることができるようになりました。
翻って、日本では医療計画と各病院が設定した医療の質を表す種々の指標が連動していません。また、後述するように、日本では移民問題が存在しないかのように扱われていて、現時点では注目されていませんが将来の大きな課題になると思います。
コミュニティケア推進と移民問題
2000年以降、英国、フランス、オランダなど多くの欧州諸国でコミュニティケア推進に関する議論が盛んになってきました。この背景には、高齢化の進展によって医療と介護(生活支援)とを別々に提供することが住民ニーズに合わなくなっているという問題意識があります。そして住民ができる限り住み慣れた地域で過ごすことを可能にするために医療福祉の複合的なチームが個別利用者のニーズをアセスメントし、医療・介護、住宅・施設の種々のサービスを柔軟に提供することで、利用者のQOLを維持していくことが志向されています。
一方で欧州のコミュニティケア論には移民問題という異質の要素も含まれています。 戦後の労働力不足に直面した欧州各国は多くの移民を受け入れてきました。しかし、その後に進んだ脱工業化によって労働者は単純労働からサービス労働へという労働需要の変化に遭遇することになります。この変化には労働者に言語能力や高等教育レベルの学力が必要となり、移民の失業率を上昇させる結果を招きました。それが2005年のパリ市内での暴動につながりました。このとき問題解決にあたったサルコジ内相は、フランス語能力やフランス的な文化的な価値観の学習を義務付ける選別的な移民政策を取ったことがよく知られています。同様の移民政策はオランダなど他の欧州諸国でも採用されています。欧州も試行錯誤を続けており、時に反面教師としてみる必要があります。
日本では、移民問題があまり意識されていませんが、既に多くの移民が生産活動やコンビニストアなどのサービス労働に従事していること、そしてこの傾向は今後さらに強まることを考えれば決して対岸の火事とは言えないでしょう。彼らに対する社会保障制度をどのようにするのかを、欧州の経験を参考にきちんと検討することが必要です。そう意味でも共生社会のデザインをどうするかが問われているのです。
労働と教育は社会保障と密接に関係する
日本について見てみましょう。この国の社会保障にとって最大の問題はやはり少子高齢化の進展と財源不足です。これだけ手厚く良質な医療サービスの提供をこれだけ安い保険料で進めている国は日本を措いてほかにありません。そのためには、労働政策を抜本的に見直して、生涯現役社会を実現しなければなりません。今の給付水準を維持しようとするのであれば、60歳になっても70歳になっても働き続けることによって、保険料収入も税収も上げる以外に日本が取るべき道はありません。そうするためには年齢によってではなく、その人の職能を評価して雇用する仕組みをしなければなりません。それを可能にするためには、スキル形成のための生涯学習を現在よりも充実させる必要があります。つまり労働政策と教育システムは裏腹の関係にあります。
英国には「地域を健康するためには家族が健康でなければならない」という考えがあり、これが社会保障政策に反映されています。特にそれは、疾病の管理だけではなく住宅政策や労働政策は家族をそして地域を健康にする上で欠かせない視点です。
日本では医療計画を立案しますが、多くの住民はその内容を知りません。フランスでは地域単位で社会保障の重点項目を決めます。その地域の課題は地域によって変わり、それを各種調査で明らかにしたうえで、地域医療計画を策定します。この計画に関しては、住民用に内容を簡易にまとめたものが公開され住民への周知も測られています。
日本の住民は医療計画を自分の問題であると捉えることがあまりありません。この理由の1つは医療計画に地域の事情が反映されていないためと考えられます。あるコミュニティーでは高齢者の引きこもりが問題かもしれないし、別のコミュニティーでは認知症対応というように、それぞれの地域で優先度は異なるはずです。実効性のある社会保障を実現するためにはコミュニティーレベルのヘルスを追求する必要があるし、そうした視点からデザインすることが必須になってくるでしょう。
問題はこうしたデザインする主体はどこかという点です。行政でもいいのですが、私は大学が中心になるべきだと思います。全国の津々浦々に大学があり、そこには社会保障を専門とする教員がいます。英語で論文を書くのもいいのですが、地域の問題を掘り出し、その解決のためにデザインするという努力をするべきだと思います。少なくとも、解決策を提案することが大学の専門家には求められます。そのためには、今こそ欧州各国の事例に学ぶべき点は多いはずです。
松田晋哉(まつだ・しんや)先生
1985年産業医科大学卒業、1991年~92年までフランス政府給費留学生。92年にフランス国立公衆衛生院を卒業。93年、京都大学博士号(医学)を取得。産業医科大学医学部公衆衛生学講師を経て、現在同教授。著書に『介護予防入門』『臨床医のためのDPC入門』『基礎から読み解くDPOS第3版』『医療の何が問題なのか』など。近著に本インタビューで紹介した『欧州医療制度改革から何を学ぶか-超高齢社会日本への示唆』