第20回 『プーチンの大いなる誤算〜ロシアのウクライナ侵攻の行方』
プーチンの大いなる誤算〜ロシアのウクライナ侵攻の行方
ウラジミール・プーチンはウクライナへの全面侵攻で多くの大きな「誤算」に直面している。その結果がどう出るのか。改めて2度の大戦の反省なき「大国リーダー」の存在に暗澹たる思いが募る。
プーチンの誤算の第1は「ウクライナの強い抵抗」だろう。
ロシア軍のウクライナ侵攻は2014年のロシアのクリミア半島併合・ドンバス紛争以来、機会を窺って来た。ウクライナに対して南のクリミア半島を占領、東はドンバスの2州の1部を実効支配し、2方面を押さえた。
北はロシアの同盟国のベラルーシ。ロシア軍は北京五輪開催中の2月中旬にベラルーシ軍と合同軍事演習を計画、部隊をベラルーシへ移動させた。それによりウクライナを3方面から攻める体制が整った。侵攻のタイミングは世界の目をそらせる狙いか、クリミア併合、その6年前のグルジア(現ジョージア)紛争と同じ「オリンピック開催」の時期とする入念さだ。
この体制、タイミングで、強力なロシアの軍事力を持ってすれば、ウクライナの首都キエフは2日、48時間も懸ければ「落とせる」とプーチンは踏んだ節がある。 ところがウクライナ軍の執拗な抵抗に会い、ロシア軍は侵攻から1週間目の3月3日現在、「キエフ陥落」を達成していない。
ウクライナ軍は何故、「抵抗」が出来ているのか。駐日ウクライナ大使のコルスンスキーはロシアが侵攻する前の2月9日、日本記者クラブで会見、「(ロシアが攻めて来ても)ウクライナは絶対、占領されない」と語った。理由は「我々は徹底的に抵抗する。ウクライナ人は何万、何十万人が戦う覚悟、用意をしている。ウクライナ兵は自分の国を守るという強い意識を持っている。ロシア兵は何のために戦うのか分からない」と両軍の「士気の違い」を強調した。
大使の発言は「強がり」ではなく、現実となっている。そしてウクライナ軍は8年間のドンバス紛争で鍛えられ、兵器も英米などから供与され、新鋭化,強化されている。 大統領のゼレンスキーの「強い抵抗姿勢」もプーチンには「誤算」だったのではないか。
元コメディアンという異色の経歴のゼレンスキーは、政治家の経験はない。タレント人気で大統領に伸し上がったが、最近は支持率も低下していた。プーチンはロシアの強力な軍事力を見せ付ければ、ゼレンスキーは、直ぐ白旗を揚げ、「降伏するか、海外へ亡命する」と軽く見たようだ。ところがゼレンスキーはキエフに踏みとどまり、ウクライナ国民を鼓舞、世界に支援を呼び掛けている。
プーチンの2つ目の「誤算」はウクライナ侵攻に対する内外の「反対の声、抗議行動」の高まり、広がり。中でも足下のロシア国内の反戦デモの執拗さだ。軍事侵攻を開始した当日の2月24日に早くもロシア国内の60近い都市で、抗議デモが行われ、二千人近くが拘束された。その後もこの流れは鎮静化せず、連日千人を超す逮捕者が出ている。反政府デモは禁じられているロシアで、逮捕覚悟の抗議活動がこれほど素早く、広く、執拗に続くのは近年は無かった現象。ロシア政府の規制にも関わらず、情報が発信され、拡散して行く「SNSの存在が」背景にある。
抗議デモは世界に広がっている。その数もベルリンで10万人超、プラハ7万人、マドリード4万人など大規模。地域も欧州や北米はもちろん、中東、アジア、南米と世界の数百都市で行われている。
こうした声、動きにも押されてロシアへの各国の制裁措置もエスカレート。これもプーチンの想定を超え「誤算」となっている。
ロシアに対する経済制裁はクリミア併合以来、続いているが、「生ぬるかった」との反省がある。そこで今回は日本を含めた欧米各国は足並みを揃え「プーチンの海外資産の凍結」から「銀行間の国際決済ネットワークの SWIFT」から「ロシアの主要銀行を締め出す」方針に踏み切った。
「プーチンの資産凍結」などは中立国のスイスも同調するなど異例の広がり。異例と言えば、スウェーデン、フィンランドが「中立国の立場に目をつぶって」ウクライナへの武器供与に踏み切ったのも、嘗てない「歴史的決断」。
政府だけでなく民間企業の「脱ロシア」の動きはプーチンにとって「誤算」と言うより「想定外」だったろう。シェルやエクソンなどがロシアの虎の子の事業の「天然ガス開発」から撤退。日米欧の自動車メーカーなどもロシアの事業の撤退や操業停止を打ち出している。
「想定外」と言えば、スポーツや芸術、文化活動へも「ロシア排除」が浸透している。 FIFA(国際サッカー連盟)がロシアとベラルーシのワールドカップ欧州予選への参加を認めないなどスポーツ界に両国のチーム、選手を締め出す動きが広がっている。IPC(国際パラリンピック委員会)は、北京で4日に始まるパラリンピックに両国の出場を認めない方針を決めた。
ロシアはウクライナ侵攻を北京のオリンピック閉幕からパラリンピック開幕までの間に「ケリをつける」つもりだったようだ。それが叶わず、数少ない友好国の中国で開催の「北京オリパラ」を汚す結果となった。これはプーチンのプライドを傷つけた「誤算」だろう。
ロシア人で、プーチンと親しいと言われるゲルギエフはミュンヘン・フィルの首席指揮者を解雇された。「反ロシア」の流れは凄まじい勢いで広がっている。
何故、プーチンはこうした事態の発生を「見誤った」のか。プーチンがロシアの最高権力者の地位に就いて20年以上。その間、軍事力を使った他国侵攻やテロ鎮圧は概ねうまく行き、「成功体験」となった。特にウクライナのクリミア併合は、ほぼ無血で達成、そのため、「ウクライナを侮った」のではないか。
軍事力行使で国際世論の反発を招いても、米国は高齢なバイデンが登場、一方、ドイツのメルケルは退場、マクロンは若く、ジョンソンは人望を欠き、「NATOに強いリーダーはいない」ともプーチンは読んだ。プーチンと27回も会談した安倍晋三に至っては「ソ連時代でも、こんなに侮蔑しなかった」とロシアの高官に言わせる扱いをした。プーチンは日米欧のリーダーも「舐めた」ようだ。
欧米の経済制裁を受けても、ロシアは慣れっこになっている。更に最近は中国の経済力が大きくなり、欧米との取引が止まっても、その穴をカバーしてくれる、との安心感もプーチンにあったのではないか。ロシアはドーピング問題で北京五輪に国として選手団の参加は出来ない。それにも関わらず、開幕式に駆けつけ、習近平と会談したプーチンの狙いが窺える。
このように「誤算」が生じる要因は複数あるが、根本の原因はプーチンの「長期独裁政治」にある。
子供の時からスパイに憧れ、ロシアの秘密警察、KGBに就職、16年間勤務したプーチンが大統領に登り詰めた。「隠密・お庭番が将軍」になった。側近を同郷のサンクトペテルブルクのKGB出身者(サンクト派)などで固め、政敵を退けて来た。野党指導者、ジャーナリスト、国家機密を知る保安関係者などの不審死が相次いだ。バイデンがプーチンを「人殺し」と口走った訳だ。
プーチンのロシアは「殺人国家」と呼ばれ、諜報機関仕込みの謀略、情報操作のハイブリッド戦で敵対国に対峙する「恐怖政治」が行われて来た。2日の国連総会で、「ロシア非難決議」に反対した国はロシアを含め、わずか5ヵ国。ロシアの国際的孤立は決定的。ロシアは「大きな北朝鮮」と化した、とさえ見える。
因みに国連決議に反対した国は核武装し、ミサイルを連発する「ならず者国家」の北朝鮮、「欧州最後の独裁者」と言われ、「プーチンの傀儡」と見られているルカシェンコのベラルーシ、10年以上内戦が続き、国内外に一千万人以上の難民・避難民が出ているシリア、1993年の独立以来、選挙無しの独裁政権で、「アフリカの北朝鮮」と呼ばれ、大量の難民を出し続けているエリトリア。ロシアを含めて最高権力者が20年以上君臨し続けている「異常独裁国家」グループである。
これではプーチンの耳には正確な情報は届かない。プーチンは「裸の王様」。片寄った、都合の良い情報で、プーチンが間違った判断をしても誰もブレーキは掛けられない。このままコトが進めば、プーチンはヒットラー、スターリンに次ぐ、「ジェノサイド」を実行した政治指導者との刻印を押されるだろう。
前号でも書いたが、「恐(おそ)ロシア」はロシアという国でも、まして国民でもなく、リーダーのプーチン。ソ連邦の解体もゴルバチョフという知的なリーダーが出現して実現した。
ウクライナは早くからプーチンの本質、意図を見抜いていた。2014年3月のロシアのクリミア併合の直前に当時の在日ウクライナ大使のハルチェンコは日本記者クラブで会見した。プーチンについて聞かれ、「20世紀最大の悲劇はソ連邦の崩壊と語った人物」と答えた。ソ連邦復活を夢見るプーチンのアナクロニズムな野望に強い警戒感を示した。
「恐ロシア」が「良(よ)ロシア」になるには、「プーチンの退場」しかない。日経は「ウクライナ侵攻の末路は、プーチンの終わりの始まり」と書いたが、その手順は誰も予測出来ない。核戦力による威嚇まで始めたプーチンの出方が当面の焦点。そして危惧されるのはウクライナの「国民の生命、国土の荒廃、そして国家の存亡」。更にチェルノブイリを除いて15基ある原子力発電所の行方。これらは我が日本、我々日本人にも直結する問題。
更にウクライナ危機を機会に世界に軍事力強化、「軍拡」の動きが俄に強まって来たのも大きな懸念だ。それが核の保有国と非保有国が核戦力を共有する「核シェアリング」へエスカレートする気配だ。ウクライナに注目すると同時に国内の政治動向にも目を凝らさなければならない。(敬称略)
2022・3・4
上田 克己
プロフィール
上田 克己(うえだ・かつみ)
1944年 福岡県豊前市出身
1968年 慶応義塾大学卒業 同年 日本経済新聞社入社
1983年 ロンドン特派員
1991年 東京本社編集局産業部長
1998年 出版局長
2001年 テレビ東京常務取締役
2004年 BSテレビ東京代表取締役社長
2007年 テレビ大阪代表取締役社長
2010年 同 代表取締役会長
現在、東通産業社外取締役、日本記者クラブ会員
趣味は美術鑑賞
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