第22回『女王陛下のソフト・パワー』

女王陛下のソフト・パワー

英国のエリザベス2世女王は今年の2月に在位70年、4月21日に満96歳を迎えられた。英国君主制史上の「最長在位、最高齢君主」の記録を更新している。英国は嘗て世界の7つの海を支配、「日の沈まぬ帝国」と言われた。その威勢は衰えたが、エリザベス女王と王室の発する「ソフト・パワー」で「連合王国の威光」を保持している。

いかに広大な国土を誇るロシアもプーチンの軍事力による「ハード・パワー」では「支配地域の拡大・維持は出来ない」と思い知らされつつある。英国と並ぶロイヤルファミリーを有する日本はこれからの国際社会では「ハードよりソフト・パワーで存在感」を示して行くべきだろう。

僕は1983年3月に英国のロンドンに赴任し、様々な英国と日本の「違い」を実感、認識した。その一つがロイヤルファミリー。

当時、英国の国営放送BBCに「スピッテイング イメージ(Spitting Image)」というレギュラー番組が放映されていた。ロイヤルファミリーを始めとするセレブを風刺する人形劇。その番組に「男がバッキンガム宮殿の塀を乗り越え、女王の寝室に侵入した」、数ヶ月前の事件が登場し、度肝抜かれた。寝室での女王とのやり取りが真しやかにパロディ化されていた。犯人の侵入を許した防護・警備の甘さに加え、「女王のナイトウェアは膝丈のリバティプリント」など犯人の供述が報道され、物議を呼んだ。

その後も英国ロイヤルファミリーのスキャンダルは絶えなかった。特に1980年代以降、宮廷の現・元職員が大衆紙(イエローペーパー)にロイヤルファミリーのゴシップを売る「小切手ジャーナリズム」が横行した。チャールズ皇太子とダイアナの離婚、ダイアナの事故死、そして最近ではチャールズの次男のヘンリー王子とメーガン夫妻の「王室離脱」と続いている。

不倫、離婚、再婚などのロイヤルファミリーのスキャンダルはドキュメンタリー番組となってBBCなどで放映され、英国だけでなく全世界に流れた。更に「クイーン」や「英国王のスピーチ」などの映画も制作され、女王や父ジョージ6世の赤裸々な人間像が描かれた。同じロイヤルファミリーとは言え、日本の「皇室」では考えられない現象だ。

日本の「皇室報道」には様々な「タブー」「規制」がある。僕がロンドンに赴任した3ヶ月後に浩宮(今上天皇)がオックスフォードのマートンカレッジに留学のために来英、2年余り滞在され、幾度か取材の機会があった。ビオラが得意な浩宮さまは学内の友人とカルテットを組まれ演奏会を開かれた。付き添いの侍従から撮影取材は許されたが、録音は禁止のお達し。「音の無い音楽会」となり、テレビ局の特派員から抗議の声が上がった。

英国に「取材規制」が無い訳ではないが、歴史、文化の違いもあって「言論、表現の自由」や「民主主義の成熟度」は日本の先を行く。そうした状況が、日英のロイヤルファミリーの「行動や報道の違い」として現れているように感じた。

スキャンダルの多い英国の「女王と王室」に対し、「国民の人気」はアップダウンする。それでも「英国のソフト・パワーは『王室とBBC』という2つの柱に支えらている」(フィナンシャル・タイムズのバーバー前編集長)と論評されるほど英王室は「大きな役割」を果たし、その「権威」は揺るがない。この例に倣うと日本のソフト・パワーは「皇室とNHK」と言いたいところだが、NHKはその資格に欠ける。それに替わる存在を敢えて挙げれば、「漫画(コミック)」だろう。

「ソフト・パワー」とは20世紀末の「冷戦終結」に当たって、米国ハーバード大名誉教授のジョセフ・ナイの提唱。「軍事力や経済力で他国を無理やり従わせる『ハード・パワー』ではなく、自国の価値感や文化で相手を魅了、敬服させて味方につける力」。これこそ「21世紀の国際外交のツール」だろう。

英国のロイヤルファミリーが「強力なソフト・パワー」を発揮している背景には「存在の継続・安定性」と「ハードな活動」がある。

僕が渡英する直前にダイアナがソニーのウェールズ工場を訪問し、話題になった。続いてエリザベス女王はNECのスコットランド工場の開所式に出席、エジンバラ公はウェールズのパナソニック工場を視察、更にニコンが主催したロンドンフィルハーモニー交響楽団の演奏会にチャールズが来場され、僕はいずれも取材した。日本で天皇や皇太子ご夫妻の「外資工場の視察」は記憶に無い。英国ロイヤルファミリーの「サービス精神と行動力」に驚いた。特にエリザベス女王の精力的な活動には目を見張った。

女王は国家元首として国会召集や栄典授与など天皇と同じような公務を務めているが、更にカナダ、オーストラリアなど英連邦王国14ヵ国の元首を兼ねている。それらを加えた旧英連邦(Commonwealth)54ヵ国(地球面積の約20%,人口の3分の1)の首長でもあり、活動範囲は広い。女王のこれまでの「行動距離は160万㎞を超え、地球を40回以上回った」との計算もある。この行動力が歴史的権威と相まって英国のソフト・パワーとなり、英国のEU離脱による孤立化を経ても「英連邦という国家連帯を結ぶ絆」となっている。

ただ、そのソフト・パワーにもさすがに衰えが目立ち、「危機」との懸念も強まっている。

一つは高齢の女王の後継問題。長男のチャールズの継承は確定しているが、彼はダイアナとの離婚、カミラ夫人との不倫を経ての再婚の経緯があり、国民の人気を落とした。この点を気遣った女王は即位70年の祝典「プラチナ・ジュビリー」を前に「(チャールズが国王に即位した時、妻のカミラが)『クイーン・コンソート(王妃)』として知られることを望む」との異例の声明を出した。カミラはチャールズと結婚後も「コーンウォール公爵夫人」を名乗り、チャールズが国王に就いても「プリンセス・コンソート(国王夫人)」を称すると見られていた。チャールズ夫妻の国民の人気回復が望まれる。

もう一つは相変わらずのロイヤルファミリーのゴシップ。女王が「最も可愛がった」と言われる次男のアンドルー王子は少女への性的虐待事件の関与疑惑で民事訴訟が発生していた。これも同時期の2月にアンドルーが慈善団体へ1200万ポンド(約19億円超)寄付することで和解が成立。「女王が金銭的援助をする」と英国紙は報じている。

英国王室は「プラチナ・ジュビリー」の祝典を6月初めのバンクホリデイに予定している。そこで心配されるのが、「ウクライナ紛争の行方」。紛争が更に泥沼化、長期化すると、祝典は自粛した内容にならざるを得ないだろう。

本来ならば、祝典は各国首脳の友好・交流の場となり、世界の親善外交を推進する「ソフト・パワー」として期待できた。

我々の人間社会は、2度の「世界大戦」を犯した20世紀の「ハード・パワーの時代」から21世紀は武器や暴力による争いの無い「ソフト・パワーの時代」を目指したはずだった。それがプーチンの時代錯誤なハード・パワー行使で、歴史が逆行しようとしている。

「人民の人民よる人民のための政治」、「民主主義」というソフトな「価値観」を守るために「プーチンのプーチンによるプーチンのための戦争」を招いたハードな「独裁権威主義」は終焉すべきだろう。「ウクライナ紛争」は「ウラジミール・プーチンの敗北」で終わらなければならない。そして「君臨すれども統治せず」、ソフト・パワー時代の象徴として「エリザベス2世女王」の「プラチナ・ジュビリー」がつつがなく祝われることを望みたい。(敬称略)

2022・5・9
上田 克己

プロフィール

上田 克己(うえだ・かつみ)
1944年 福岡県豊前市出身
1968年 慶応義塾大学卒業 同年 日本経済新聞社入社
1983年 ロンドン特派員
1991年 東京本社編集局産業部長
1998年 出版局長
2001年 テレビ東京常務取締役
2004年 BSテレビ東京代表取締役社長
2007年 テレビ大阪代表取締役社長
2010年 同 代表取締役会長
現在、東通産業社外取締役、日本記者クラブ会員
趣味は美術鑑賞