第26回 『女王「リズ」亡き、英国「リズ政権」の行方』

女王「リズ」亡き、英国「リズ政権」の行方

英国のエリザベス2世女王は、エリザベス・トラスを「首相に任命」を「最後の公務」として務め、2日後に亡くなられた。英国史上最長の在位70年の「リズ女王時代」の終焉で英国は「どう変わるのか」。英国史上3人目の女性首相に就任した「リズ首相」の英国は「どこへ向かうのか」。「岐路に立つ英国」を展望する。

エリザベス女王を継承して国王に即位したチャールズ3世はダイアナ妃との離婚、カミラ夫人との不倫の末の結婚などで国民的人気は今一つ。母、エリザベスのような「求心力は無い」と危惧する見方がある。

世界には英国王を元首とする「英連邦王国(コモンウェルス・レルム)」はイギリスを含め15ヵ国にのぼる。これらを含めた緩い連合の「英連邦(コモンウェルス・オブ・ネイションズ)」は54ヵ国。その人口は約26億人で世界の3分の1,面積は21%を占める。国家連合としては国際連合は別格とすると、中露印などがメンバーの「上海協力機構」に次ぐ規模。加盟国数は英連邦が「上海」より遥かに多い。

2度の大戦を経て大英帝国の衰退は著しいが、それでも、これだけの旧植民地を繋ぎ止め、まとめて来た国は英国の他にはない。英連邦には英国の旧植民地以外のフランス、ポルトガルなどの旧植民地国も加盟している。今も加盟申請中の国があり、英連邦の加盟国はまだ増える可能性がある。

英国は800年近くも大きな戦争に敗けたことがなく、「巧妙な外交」の成果だが、エリザベス女王の「象徴としての魅力、各国を結びつける接着力」も寄与した。しかし、英国王を君主に頂く「英連邦王国」から離れ、共和制への移行を志向する国は少なくない。その流れが「エリザベス女王の死去」で表面化、加速するのではないかと懸念された。

案の定、女王死去から3日後にカリブ海の島国、アンティグア・バーブーダの首相が「共和制への移行を問う国民投票を3年以内に実施する」と言明した。予てより王国の主要メンバーのカナダやオーストラリアも「共和制移行」の世論が根強く、他にも「予備軍」は数ヵ国にのぼり、「王国離脱の雪崩現象」が心配された。

ところが、荘厳な国葬が行われ、英国王室(ロイヤルファミリー)の圧倒的な「ソフトパワー」は世界に強烈な印象と感動を与えた。国葬のテレビやインターネットでの視聴者は77億人との推定もある。王国メンバー首脳は国葬に参列、体験して「共和制移行にブレーキがかかった」との観測もある。

ただ、「英連邦王国」のメンバーが共和制へ移行、王国から離脱しても英国にとって「大きなダメージにはならない」との見方もある。それは、ほとんど国が王国を離れても「英連邦に留まる」からだ。

英国が「離脱」で本当に恐れているのは本体の連合王国(UK)を構成するスコットランドの「独立」、北アイルランドのアイルランドとの「統合」の動きだ。いずれも歴史のある動向だが、英国の「ブレクジット」(EUからの離脱)が刺激した。スコットランドはEU残留派が過半で「EU離脱の英国」からの独立志向が強まった。北アイルランドは英国のEU離脱でアイルランドとの間に「交易障壁」が再浮上して来たので、統合論が台頭している。

エリザベス女王が図らずもスコットランドで亡くなったので、チャールズ国王はスコットランドで追悼儀式を行うだけでなく、国葬までの数日間に北アイルランドとウェールズもカミラ王妃を伴って訪れた。国王が替わっても連合王国は「一体」と国民にアピールした。

僕の個人的な印象だが、ロンドンに駐在した40年前から当時のチャールズ皇太子は母親譲りのユーモアがあり、国民との対話でも当意即妙、聡明さが窺えた。王位継承まで十分な時間があったので、準備も出来たはずだ。国民的人気は母親の域に達しないかも知れないが、「連合王国の君主」として、「英連邦の象徴」としての役割を果たして行くのではないか、と確信する。

近い将来、英国及び英連邦の「分断」がある、とすれば、新国王よりも「新首相の資質、舵取り」が問われそうだ。エリザベス・トラス首相は異例の登場で、記録づくめの人物。

まず登場のきっかけがジョンソン首相の突然の辞任。彼はスキャンダルでも傷つかない「テフロンの男」と言われていたが、コロナ禍の行動規制発令中に官邸で「飲酒を伴うパーティーの開催、参加」が命取りとなった。回数が16回と多いが、それよりもパーティーを「仕事の集まり」と「嘘をついた」ことが致命傷となった。

世界中どこも「政治家と嘘」は付き物だが、英国は「政治家の嘘」に厳しい。20世紀の英政界の最大のスキャンダルと言われた「プロヒューモ事件」も陸相がソ連の駐英武官と関係があったコールガールのキーラーとの肉体関係を否定した「嘘」が発覚し辞任。僕が英国駐在したサッチャー政権の第2期でも、組閣早々、パーキンソン貿易産業相が秘書と不倫、懐妊させ、「嘘で隠蔽」がバレて辞めた。

同じパーティーでも日本では首相主催の「桜を見る会」が安倍首相の代に規模を拡大、選挙区の支援者を多数招待、公職選挙法などへの抵触が問われた。その国会審議で安倍は118回の「虚偽答弁」をした。そんな首相が国葬で送られた。

英国と日本、「たかがパーティー」とは言え「政治家の嘘」に対する、この「対応の違い」は何故だろうか。「国民にとって正義とは何か」「民主主義国家とはいかにあるべきか」、考えさせられる。

サッチャーの在任11年の記録破りを目指していたジョンソンの後継は「鉄の女2・0」と言われるトラス首相。「服装もハンドバックも語り口」もサッチャーに似ているだけでない。トラス首相を取り巻く情勢がサッチャーが英国史上初の女性首相として登場した43年前と同様、極めて厳しい。

サッチャーが首相に就任した1978年春は、長患いの「英国病」の果て、労組のストライキ、インフレ進行などで経済社会が危機的状況陥った「苦渋の冬(winter of discontent)」が明けたばかり。トラスが首相となった今年9月は 、ロシアのウクライナ侵攻で石油・天然ガスの供給が減少、光熱費が急騰、インフレ進行の反面、経済成長率はロシアに次いで低い危機に直面。トラスは党首選の公約の大幅な減税と光熱費補助を打ち出した。

これら対策が財政悪化の懸念を招き、通貨ポンドが急落、37年前のサッチャー政権以来の史上最安値となり、ドルと等価の「パリティ」に近づいた。こうした状況で、保守党の支持率は21%に対し、労働党は54%を記録、トラスは減税案の修正を余儀なくされた。

発足から1ヶ月のトラス政権は、2年余りに迫った総選挙で「労働党に政権奪取される」と専門家の予測が早くも出るほど窮地に立っている。

ただトラス首相は看板の減税案も直ぐ修正する「柔軟さ」、主要5閣僚(首相、副首相、財務相、外相、内相)に白人男性を1人も起用しない「大胆さ」、エリザベス女王から任命されるに当たって首相官邸のダウニング10からノーソルト空軍基地経由、スコットランドのバルモラル城まで往復1600㎞超をとんぼ返り、官邸へ帰り着くと車から玄関前に設置された演題へ直接向かい就任演説した「若さとバイタリティ」。47歳と首相としては若く、議員歴も12年と長くないが、英国初の女性の「大法官(英国最古の官職)や外相」など幾つもの閣僚を経験している。見かけによらず、したたかで、強気で、果断。

サッチャーも1期目は第2次石油危機にも見舞われ、経済が低迷、支持率が落ちたが、フォークランド紛争が勃発、素早い断固たる対応で、人気を回復、再選された。その後、国営企業の民営化、労組対策で成果を上げ、英国経済を再建、長期政権に繋げた。

予断は出来ないが、トラスも英国経済を建て直し、名実ともに「サッチャー2.0」となる可能性はある。そのためにはEUとの関係を改善する一方、新国王と共に英連邦との連携強化も課題となる。対ロシア対策もあり、ユーラシア大陸の東西に位置する「日本と英国の連携」も両国にとって戦略的意味は大きい。

1902年(明治35年)に結ばれた「日英同盟」の約20年間は、「極東の小国・日本」が「坂の上の雲」を見つめ、近代国家を目指して進んだ日本史上では特筆すべき「高揚した時代」だった。第2次大戦の敗戦後、世界の「経済大国に復興」した日本だが、この30年で「衰退後進国」と評される状況へ転落している。日本は改めて「新・日英同盟」とも言うべき関係を再構築して「嘘に厳しい英国政界」を学びながら「成熟した立憲民主主義国家」を目指すべき時ではないだろうか。

トラス首相はオックスフォード大学のマートン・カレッジ卒業で天皇陛下の同窓の後輩。天皇はマートン・カレッジでの2年4ヵ月が「夢のような充実した留学生活」と回顧されている。天皇が雅子妃と共にエリザベス女王の国葬に「異例の参列」をされたのは、英王室と英国を親愛される天皇の「強い御意向」によると推察する。

トラス首相が足下の危機を克服して、来年の広島サミットに出席、日英関係の更なる進化を期待したい。そして天皇とやはりオックスフォードへ留学経験のある皇后と懇談し、親交を深めて頂きたい。エリザベス女王が来日の時に語られたように自動車の左側通行など「日英には共通点が多い」。英国の国葬で見られた長い列(queue)をつくる礼儀と規律ある行動も共通している。

両国の持つ「ソフトパワー」がプーチンのロシアや金正恩の北朝鮮の「ハードパワー」に勝る世界の到来を望むばかりだ。(敬称略)

2022・10・6
上田 克己

プロフィール

上田 克己(うえだ・かつみ)
1944年 福岡県豊前市出身
1968年 慶応義塾大学卒業 同年 日本経済新聞社入社
1983年 ロンドン特派員
1991年 東京本社編集局産業部長
1998年 出版局長
2001年 テレビ東京常務取締役
2004年 BSテレビ東京代表取締役社長
2007年 テレビ大阪代表取締役社長
2010年 同 代表取締役会長
現在、東通産業社外取締役、日本記者クラブ会員
趣味は美術鑑賞