第28回『逆流の時代~2022年は歴史的後退のメモリアルイヤー』
逆流の時代~2022年は歴史的後退のメモリアルイヤー
2022年は海外では「ロシアのウクライナ侵攻」、国内では「安倍元首相が撃たれ死亡」がビッグニュースだった。第2次大戦以来、77年を経過したが、「戦前に逆戻りした」かと錯覚させる事態、事件だ。
今日、12月24日はクリスマス・イヴ、ロシアのウクライナ侵攻が始まって10ヶ月になる。この紛争のここまでの長期化は誰も予想しなかった。その結果、大量の難民・避難民が発生、世界の難民(避難民、移民を含む)は今年5月の時点で、既に「史上最多の1億人を突破」した。地球人口の80人に1人が難民・移民の勘定。
水は「高きから低きへ流れる」が、難民は「低き(所得)から高きへ向かう」。この「人の逆流」が政治を動かし、歴史を創って来た。ここ数年の世界の歴史を振り返っても、英国のBrexit(EU離脱)、トランプ大統領の登場、ミャンマーの軍事クーデター、ウクライナ紛争など大きな政治動向には難民問題が絡むか、難民発生に繋がっている。
Brexitは2016年の英国の国民投票で、「EU離脱支持」が過半数に達し、実施が固まった。英国民に「反EU感情」が予想外に広がったのは ポーランドなど東欧のEU加盟国から「移民や出稼ぎ」が増え、「英国人の雇用を脅かし始めたから」との見方が強い。そこでEU方針の「域内移動の自由」を禁じ、「移民・出稼ぎ」の排除が支持された。EU内の「人の逆流」が英国の「在り方」に影響したのは間違いない。
英国はEU離脱から3年近くになるが、経済は低迷、リズ・トラス首相は死去の2日前のエリザベス(リズ)女王から任命されながら史上最短の44日で辞任した。リズ首相は「カメレオン」と揶揄されるほどの柔軟性と若さがあるので、僕は「サッチャーを見習い、難局を突破出来る」と期待したが、裏切られた。この英国の混迷は「EU離脱は失敗」の現れとも言える。
失敗の証は様々だが、経済面では、EUからの「労働移民の制限」で、労働力不足となり、経済活動がマヒする皮肉な結果を招いている。ポンドも下落し、11月中旬にロンドン・シティの証券市場の時価総額(米ドル換算)はパリ市場を下回った。「シティ」は英国経済の象徴的存在。その市場が「パリより縮小」の転落劇ほど「英国経済の落日」を示す現象はない。今冬は労働ストが多発、44年ぶりの「不満の冬」の再来、引いては「英国病」の再発も懸念されている。これらもEU離脱の「失敗の代償」と言える。
民主主義のリーダーを自認する米国で「反知性・差別主義」のトランプ大統領が誕生したのも「メキシコ国境に壁をつくる」との厳しい「難民・移民規制策」が一定の支持を集めたからだ。
2018年11月の中間選挙の1ヵ月ほど前に中米のホンジュラスを起点に米国を目指す「移民キャラバン」が発生、1万人近い規模へ達し、「現代版・出エジプト記」と連日、テレビで報道された。これに対してトランプ大統領は、キャラバンは「犯罪集団」と決めつけ、参加者が出た中米諸国への支援打ち切り、メキシコ国境の閉鎖や軍隊派遣など厳しいキャラバン阻止策を打ち出した。そして「キャラバンは米国の民主党や富豪の投資家ジョージ・ソロスが支援している」と非難、選挙キャンペーンに利用した。
ホンジュラスには米国がルーツの暴力組織が暗躍、反政府活動家の扇動説もあり、キャラバン結成の真相は不明。ところが米国の中間選挙が終わると、キャラバンはほとんど米国国境ヘ到達しないまま、帰国或はメキシコなどヘ留まり、離散したようだ。
中南米から米国を目指す難民・移民は「常に伏流水として流れ、それが表面化、大河となった」との見方もある。だが、あまりのタイミングに「トランプ劇場のマッチ・ポンプ物語だったのではないか」と僕は疑っている。
難民・移民は「豊かなフロンティア」を目指すので、米国は19世紀以来、最大の目的地となって来た。ところが21世紀に入り、地政学的に欧州が米国以上に難民・移民の脅威に曝される状況になって来た。
2010年に吹き始めた「アラブの春」の嵐が北アフリカから中東に広がると、欧州を目指す難民・移民が増加した。特にシリアに伝播、内戦に発展すると難民・避難民が急増した。彼等は地中海経由でギリシャ、イタリアなどへ漂着した他、トルコ経由で陸路、欧州諸国、中でもドイツを目指した。
この流れは、欧州への難民がピークに達した2015年の「欧州難民危機」に直面、ドイツのメルケル首相が「受け入れ」を率先して表明したからだ。結局、ドイツは110万人もの難民を受け入れたが、これがドイツ国民に不評で、「メルケル退陣」に繋がった。 16年間も首相を務めたので、彼女は「潮時と思っていた」ようだが、最近の世界の政治リーダーでは数少ない知性派、ドイツでは「お母さん」と呼ばれ、頼られる存在だった。「メルケル退陣」はドイツに留まらず、「欧州の損失」と言える。
メルケルは冷戦時代の東独に育ち、ロシア語が堪能、「ベルリンの壁崩壊」の時、東独に駐在したプーチンと体験が重なる。メルケルは「プーチンの本質、手の内」を知ったうえで、ロシアと交渉、ガスパイプラインを設置し、ロシアへのエネルギー依存度を高めた。ウクライナ紛争の勃発で「メルケルはロシアと融和策を取って来た」との批判もある。果たしてメルケルのロシア戦略は「誤算」だったのか。
プーチンにとって西側首脳で煙たい存在はトランプ、バイデンでもジョンソン、マクロンでも無く、メルケルだったのではないか。メルケルが去り、プーチンは「ウクライナ侵攻に踏み切った」とは言わないが、彼女がドイツ首相の座にあれば、プーチンの決断とその後の対応は「違う形になっていた」と思えてならない。
「難民・移民・避難民」を生み出す原因は「戦争、貧困、差別、迫害、自然災害、飢餓、伝染病など」である。それらによって人間は生命・生存が脅かされ、自由を奪われ、尊厳を傷つけられれば、故郷や祖国を捨て逃げざるを得ない。人間社会の進化、発展と共に「難民は減る」と我々は楽観視して来た。まして第1次、第2次と2度の世界大戦を経てきた反省から難民減少は当然と思って来た。
ところが2022年に世界の難民は1億人を突破、特に欧州では5年ぶりの大幅増加となった。「ロシアのウクライナ侵攻」の結果だ。
ウクライナ難民は10月初旬で国外へ約760万人、国内逃避が約700万人に上る。国外は隣接するポーランドなど欧州諸国が受け入れている。加えて2015年をピークに減っていた北アフリカから地中海を渡って欧州へ来る難民も増え始めた。ウクライナとロシアからの穀物輸出の大幅減少で食糧不足が深刻化して来たからだ。難民増加と共に地中海でボートや船が沈没、水死者が増えている。その数は今年は昨年より50%増え、2千人を超えたと推測される。地中海は再び「海の墓場(The Sea Cemetery)」と化し、悲劇が繰り返されている。
この「難民危機」の再来を警戒して欧州では、「反移民」を掲げる右派政党が台頭、イタリアでは極右の「イタリアの同胞(FDI)」党首のジョルジャ・メローニがイタリア初の女性首相に就任した。スウェーデンも中道左派で移民に寛容な女性首相が総選挙に敗れ、移民排斥の右派政権が誕生した。
このように「難民」は不幸・悲惨な人間を大量に生み出すだけで無く、政治を排外主義や非人道的、非民主主義的な専制独裁へ駆り立てる。
この10年を振り返ると、百万人単位の大量の難民を出して来たのはシリアを筆頭にアフガニスタン、南スーダンなど。いずれも内戦が発生、それを逃れて国外脱出が起きた。そしてこの1年でシリアを上回る難民が出現したのがウクライナ。
第2次大戦後、大量の難民が発生したのは米国が介入したベトナム戦争。アフガニスタンも米国軍が進駐したが、先鞭を付けたのはロシアの前身のソ連。シリアは2代に渡る独裁のサダト政権をロシアが支え、内戦が泥沼化している。ウクライナはロシアの軍事侵攻で難民が発生した。
更にアフリカの東岸、紅海に面したエリトリアは国内の治安はよいようだが、恒常的に国外へ難民が流出している。共産党1党独裁の親ロ政権で、「アフリカの北朝鮮」と呼ばれる圧政から逃れる人々だ。アジアでも親ロの軍事政権のミャンマーで、「国籍も与えられていないロヒンギャ」の人々が難民となり、隣国のバングラディシュなどで極貧の不安定な生活を送っている。
難民の発生には、米ロの「大国の責任」が大きい。特に近年、「ロシアの関与」が目立つ。世界の陸地の8分の1を領有、世界一の核兵器保有の「強国ロシアの罪は重い」。
ジョージアは2008年、ロシアに侵攻され、国土の1部に親ロ政権の国家を樹立された。「21世紀最初の欧州戦争」とされている。ロシアはウクライナでも、「ジョージア方式」を実行しようとしているかに見える。2014年に来日したジョージアのマルグヴェラシヴィリ大統領は日本記者クラブで会見し「ロシアの国土面積はジョージアの約244倍。世界最大の国土の国が何故、数十平方kmの土地を欲しがるのか」と「素朴な疑問」を投げかけた。「北方領土」問題を抱える日本国民と「共通した感情」だろう。
「素朴な疑問」とは言え、ロシアの歴史、文化などを辿って考察すべき問題だろう。ただ単刀直入に言えば、大国ロシアが21世紀に入っても相次ぎ「武力を行使、隣国を侵略する」のは「政治リーダーと体制の問題」と言えるのではないだろうか。
ロシアのプーチン大統領は、これまで何度も論評して来たように「20世紀最大の悲劇はソ連邦の崩壊」と述べてきたアナクロニズム(時代錯誤)政治家。ジョージア侵略に続き、クリミア半島併合、ウクライナ侵攻も「時代に逆行、時計の針を巻き戻す行為」を繰り返している。
ソ連邦崩壊で民主化が進むかと思われたロシアは、ゴルバチョフの失脚、プーチンの登場で、「1党優位の事実上の独裁政治体制」となって行く。このため「非人道的な恐怖政治」に歯止めが掛からない。ウクライナ侵攻で西側諸国の様々な制裁を受け、「孤立化」も進んだ。ロシアの公然たる友好国は今や、欧州最後の独裁者と言われるルカシェンコのベラルーシ、ミサイル発射を繰り返す金正恩の北朝鮮、世界最多の難民を流出しているサダトのシリア、「アフリカの北朝鮮」と言われているアフウェルキのエリトリア。いずれも長期独裁政権国家で、「ならず者国家連合」と言われ、中核のロシアは「大きな北朝鮮」とも蔑称されている。
こうした状況では米国はもちろんEU、日本など西側陣営はロシアから「代理戦争」と言われようと「ウクライナを負けさせる訳には行かない」。
一方、ロシアは直接、戦争の舞台になっていないので、国民にはウクライナほどの生命の危険、生活上の切迫感はないかも知れない。だが新型コロナ感染はロシアもまだ収束していない。ロシアは世界の先頭を切ってコロナ・ワクチン「スプートニクV」を開発、接種を始めたが、効果が薄かったのか、接種率は未だ50%以下。輸出も試みたが、信頼性を欠き、引き合いは乏しいようだ。
ロシアのコロナのデータは正確さを欠くが、死者数は米国、インド、ブラジルなどと並んで「トップ5」入りしているのは間違いない。感染者の致死率はブラジルと共に高い。 プーチンは「ウクライナへ向けミサイルを打っている」場合ではない。ロシア国民に向け「もっと有効なワクチン」を打たねばならないのではないか。
第1次大戦では「スペイン風邪」が流行、戦死者を遥かに上回る病死者が出た。その結果、「終戦が早まった」との説がある。ウクライナ紛争は「終結の見通し」が全く見えず、年を越そうとしている。歴史を逆行するようだが、第1次大戦に習って「ウクライナ紛争の幕引き」も「新型コロナ・ウイルスに頼るしかない」のではないか。ロシア国民も「プーチンよりワクチン」と心の中で叫んでいる声が聞こえる気がする。(敬称略)
2022・12・24
上田 克己
プロフィール
上田 克己(うえだ・かつみ)
1944年 福岡県豊前市出身
1968年 慶応義塾大学卒業 同年 日本経済新聞社入社
1983年 ロンドン特派員
1991年 東京本社編集局産業部長
1998年 出版局長
2001年 テレビ東京常務取締役
2004年 BSテレビ東京代表取締役社長
2007年 テレビ大阪代表取締役社長
2010年 同 代表取締役会長
現在、東通産業社外取締役、日本記者クラブ会員
趣味は美術鑑賞
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