第33回『知りたい「シリア内戦」の実像~もう一つの「プーチンの戦争」の行方』

知りたい「シリア内戦」の実像~もう一つの「プーチンの戦争」の行方

ウクライナ戦争の陰に隠れ、中東の「シリア内戦」への世界の関心が薄れつつある。大量の難民を産み、「今世紀最悪の人道危機」と言われた「シリア内戦」は、12年経っても、終わっていない。「なぜ内戦は長期化しているのか」、「シリア内戦は世界に何をもたらしたか」。「現代の国際紛争の縮図」とも言えるその「実像」を我々は「知りません」では済まないだろう。

シリア内戦の発端は2010年末に北アフリカ・チュニジアで起きた反政府運動。若者の焼身自殺を契機に市民デモが発生、「ジャスミン革命」と呼ばれる政権転覆運動に発展した。この波が北アフリカから中東のアラブの独裁政権国家ヘ広がり、その「民主化」を求め、「アラブの春」と呼ばれる「潮流」となった。

チュニジア、リビア、エジプト、イエメンなどで長期独裁政権のトップが退陣、モロッコ、ヨルダンなどで憲法改正も行われた。ところがシリアのアサド大統領は反政府デモの拡大に対し、武力弾圧に乗り出し、それが政府軍と反政府勢力との「内戦」に発展した。 この混乱に乗じてイラク紛争のイスラム過激派「アルカイダ」の残党と言われるISIL(アイシル、自称イスラム国)や「国家を持たない最大の民族」と言われるクルド人も自治権確立を狙って反政府闘争へ動いた。

更にアサド政権とかねてから親密なロシアやイランは政府軍を支援。アサド政権の独裁政治に批判的な欧米は反政府勢力を後押しするなど域外の「大国も介入」した。加えてアサド政権とかねて対立関係にあるイスラエルやシリア周辺のサウジアラビアなどアラブ諸国も内戦に直接間接に関わるなど極めて複雑な状況が展開した。

当初、反政府勢力が優勢、一時はISILが支配地域を拡大するなど政府軍との「三つ巴の戦い」が続いた。この泥沼の劣勢を政府軍が抜け出し、「アサド政権が延命」したのは2015年から本格化した「ロシアの支援」が大きい。ロシアは旧ソ連邦域外では唯一の海軍基地を持つシリアとの強い軍事的関係から空軍基地も首都ダマスカスの国際空港に隣接して確保、反政府勢力へ無差別な空爆を加えた。

この基地が「プーチンの戦争の先兵」である民間軍事会社「ワグネル」のアフリカ戦略の「ハブ空港」ともなった。ワグネルの創設者で代表のプリゴジンは政府軍支援の対価としてアサドから「シリアの石油・ガス生産の25%の利権を与えられた」との情報もある。

このシリアでの成果を踏まえてプリゴジンは中央アフリカやマリなどアフリカの独裁政権を軍事支援、金やダイヤモンドなど鉱物資源の採掘権や農産物の生産販売権を得て、ビジネスも拡大した。こうした経緯からシリアは「ワグネルの温床であり、プーチンの戦争の実験場」でもあった。

そのプリゴジンらワグネル幹部が乗ったジェット機が墜落、「暗殺」説が流れている。それは2ヶ月前、プリゴジンがロシア軍幹部を批判し、起こした「反乱」に対する「プーチンの処罰」との説が有力。外食事業から身を立てたプリゴジンは「プーチンの料理人」と呼ばれたが、結局、「プーチンに料理されてしまった」ようだ。

「プーチンの戦争」の「汚れ役」を引き受けて来たプリゴジンはプーチンの本性、悪行の数々を知っている。言わば「共謀、共犯者」と言える。だからプーチンのやり方は分かっていたはず。万一に備え、プリゴジンは「プーチンに毒を盛る」仕掛けをしていなかったのか。今後、「プーチンの戦争犯罪」を暴露する「プリゴジンの遺言」の表面化を注視したい。

アサド政権が生き残り、「シリア内戦が長期化した」もう一つの原因は、米国が「アサド政権打倒よりISIL壊滅を優先した」からだ。この戦略により米国はクルド人部隊を支援、ISILを追い詰めた。そして「ISIL追討」が完了すると、トランプは米軍を゙シリアから事実上、撤退させた。この結果、シリア内戦は「プーチン・アサド連合の勝利」に終わろうとしている。ここでもトランプはプーチンと争えない「ロシアゲート(疑惑)の闇」が窺える。

12年に及ぶシリア内戦で、発生した難民・避難民は、1300万人超、死者は50万人超(英BBCで死者は300万人超との報道もある)との推定がある。少なくとも「今世紀最大の人道危機」どころか「人類史上最悪の難民発生」との見方もある。

これら難民はシリア難民監視団の推計によると、トルコが320万人と最多、次いでレバノン100万人と国境を接する近隣諸国へ溢れ出て、その経済・社会を圧迫している。更に欧州へ流れ、各国の社会を揺さぶり、ハンガリー、ポーランドなどの「政権の右傾化」に繋がった。

更にシリア内戦ではアサド政権の、サリンなどの「化学兵器の使用」が疑われ、その回数は「106回」とBBCは伝えている。政府軍は認めていないが、国連の調査官は「アサドは世界最悪の戦争犯罪人の一人」と指弾している。

「アサドの罪」は以上に留まらない。「北朝鮮と核開発で協力」、「覚せい剤の拡散」、「クラスター爆弾の使用」などの「疑惑」が絶えない。覚せい剤は商品名「カプタゴン」で、「シリア最大の輸出品」に成長、アサド一族が関与、「麻薬王国を形成している」という。

アサド大統領は父、ハーフィズ・アサド大統領の次男。彼は医師の道を進んでいたが、父の後継の長兄が交通事故死、父の下に呼び戻されるに当たって「医者と違って政治家は血が流れないから楽だよ」と友人に語ったという。あに図らんや、シリア内戦の死傷者数は数百万人に上り、「アサドのシリア」には東西冷戦後の世界では最も「大量の血」が流れた。

シリア最大の人口を誇ったアレッポなど北部の都市はロシアの空爆で荒廃、そこへ今年2月に大地震が発生、今や「地球上で最も悲惨な地帯」と呼ばれる惨状だ。

シリアはアサド政権の武力による市民弾圧を理由に2011年に「アラブ連盟」から締め出された。それが、今年5月、12年ぶりに復帰が認められた。アサドは「シリアはアラブの心臓」と意気軒昂だが、内戦は終わっていない。そして荒廃した「国土の復興」、内外に離散した「難民の帰還」など重大かつ困難な課題の解決にも全く手が着いていない。

これらはシリアだけではなくアラブ連盟への復帰を認めた周辺国を始め、世界全体の課題でもある。アサド政権を軍事支援して来た「ロシアの本当のシリア支援」は「国土復興と難民帰還」に手を貸すことだろう。ウクライナ侵攻などを続けている場合ではないはずだ。

それにしても「アラブの春」とは何だったのか。北アフリカ・中近東の独裁強権国家の「民主化」を目指す流れが、12年を経て「逆行」している。父子2代、40年続くアサド独裁政権は生き残った。その他の国も政治的混乱、独裁政権の復活など「アラブの春」は花の咲かない、実が付かない「何もない春」に終わった。「世界の民主化」は「後退の一途」と懸念される。

そして「アサドの戦争犯罪」は問われそうにない。シリア内戦でワグネルの存在が浮上、「民間」の名の下に非公式に非合法に他国に軍事介入する「プーチンの戦争」の実態が明らかになった。ワグネルはウクライナ戦争ではロシアの受刑者を募り、前線に送り出す「中世の傭兵」まがいの戦術も採った。プーチンはこれまで「ワグネルは国家と無関係」、「民間軍事会社は存在しない」とシラを切ってきたが、「プリゴジンの乱」に直面、年間千億ルーブル超(約千五百億円)もの国家予算の投入「カネと武器をワグネルに与えて来た」と明らかにした。

そしてプリゴジンはロシアのウクライナ侵攻の理由である「ウクライナのネオ・ナチ化」「NATOの東方拡大、ロシア侵攻」はいずれも「ロシア軍部の誤った情報」と断言、ウクライナ侵攻の「ロシアの大義」を否定した。

「プーチンの私兵」と言われたワグネルは解体されるのか。実態は不透明だが、ロシアには「影の軍隊」とも言われる民間軍事会社は30社を超える。第2のワグネルが直ぐにも登場するのかも知れない。

プーチンは、元秘密警察KGBの出身。諜報担当の経験を持つ。「スパイが大統領になった」とは言い過ぎだろうか。日本に例えれば「隠密が将軍になった」ような異例な経歴。それ故か、「陰謀、謀略の政治手法」が目に着く。「プリゴジン暗殺」には米大統領のバイデンを始め、世界は誰も驚かなかった。

昨年だけでもロシアのオリガルヒ(新興財閥)の幹部の不審死だけで13人に上り、ここ数年で「プーチン周辺の人物の怪死・不審死は40人超」との報道もある。プーチンを「クレムリンの暗殺者」と呼び、「恐怖政治」を糾弾する声は高まりつつある。

世界にはプーチンまがいの独裁政治指導者が散見する。ただロシアは地球上の陸地の8分の1を領有し、世界最多の核爆弾を保有する「超大国」である。その絶対的権力を握るプーチンが「元KGBの邪悪な男」と謙遜の言辞とは言え「自嘲する現実」に暗澹たる思いが強い。

ウクライナ戦争は予期に反して1年半の長期戦となり、一つのヤマ場を迎えようとしている。シリア内戦に続いてウクライナでも「プーチンが勝つ」結末は絶対に避けなければならない。世界は、シリア内戦を振り返り、よく知り、「プーチンの連勝」を許してはならない。(敬称略)

2023・8・28
上田 克己

プロフィール

上田 克己(うえだ・かつみ)
1944年 福岡県豊前市出身
1968年 慶応義塾大学卒業 同年 日本経済新聞社入社
1983年 ロンドン特派員
1991年 東京本社編集局産業部長
1998年 出版局長
2001年 テレビ東京常務取締役
2004年 BSテレビ東京代表取締役社長
2007年 テレビ大阪代表取締役社長
2010年 同 代表取締役会長
現在、東通産業社外取締役、日本記者クラブ会員
趣味は美術鑑賞