財政破綻に備える医療改革を語る
日本の財政破綻懸念を背景に社会保障制度が揺らいでいる。「日本の財政は構造的に破綻している」と主張する経済学者で、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹を務める松山幸弘氏に“財政破綻を想定した次なる医療改革”の方向を語っていただいた。
国と地方政府の借金合計である一般政府債務残高の名目GDPに対する割合は、世界的にみて日本が突出して高い。2011年に財政破綻したギリシアの同割合は172%だったが、その時の日本は既に231%。そして、IMF(国際通貨基金)の将来予測によれば2022年時点でも232%にとどまる。他の先進諸国の多くは2015年時点で100%前後であり、財政優等生のドイツは71%、オーストラリアは38%である。日本の財政は既に構造的に破綻していると言わざるをえない。社会保障給付を多少カットしたとしても現在の枠組みを維持するには消費税率を20%以上にする必要があることは公知である。にもかかわらず安倍政権は消費税率引き上げ延期を繰り返し、危機のソフトランディングすら難しい状況を招いている。
構造的破綻の次に起こるのは国債の札割れ
一方、日本経済は低位ながらも成長している。その背景の一つが日本銀行による国債の大量買いを通じた財政支援である。そのためセミナーで医療経営者から、日本銀行は政府の一部なのだから国の借金である国債を日本銀行が買えば国債を消すことができる、という反論を受けた。これが誤りであることを通常は日本銀行と政府の連結貸借対照表を用いて説明するのだが、金融システムに無知な人間にはやや難しい。
そこで、私は次のように説明している。すなわち、もしこの珍説が正しいのであれば、政府が日本銀行に円紙幣の輪転機を高速回転させて国民ひとり一人に1億円配るために国債を発行しても、財政問題は発生しないということになる。それは円紙幣が紙くずになることを宣言するに等しい。だから、政府が赤字国債を低金利で永久に発行し続けることはできないのであり、国債の買い手がいない札割れと呼ばれる事態がある日突然やってくる。
国債を発行できなければ国の資金繰りが窮地に陥り、診療報酬財源の約4割を占める公費の流れが止まる。問題は、この突発的破綻がいつ起こるかである。私は遅くとも医療改革の目標年である2025年までには起こると予測している。その危機管理のため、政策優先順位を作成しておくことが現在の喫緊の課題である。とりわけ、国防と並び国民生存のインフラである医療介護福祉体制の再構築が重要である。
現在の低金利で契約する銀行融資に潜むリスク
国債札割れが起きれば、猛烈な金利上昇と円安に直面する。金利上昇により融資を受けられなくなることを心配する医療経営者がいるが、もっと大きなリスクは、現在の低金利に幻惑されて、例えば融資期間20年の前半を変動金利、後半を10年後時点の固定金利という条件で今借り入れることに潜んでいる。これは、将来の金利上昇リスクを借り手である医療機関に全て負担させる仕組みである。国債札割れ後の長期金利は10%前後になると予想される。そうなれば医療機関は医業利益を奪われ倒産に追い込まれる。これを回避する方法として、低金利の今こそ最初から固定金利で資金調達することを私は推奨している。
厚生労働省が進める地域医療連携推進法人の課題
わが国は、人口1億2,600万人に対して病院数は2017年4月時点で8,435。これに対して、米国は人口3億2,600万人で病院数が5,564である。わが国は他国に比べて高額医療機器の設置数が多いことでも知られており、その医療提供体制は明らかに過剰投資である。しかも医療機関同士の連携も遅れている。
そのため2015年に医療法を改正して“地域医療連携推進法人”の構築を促す政策を取り始めた。ところが、2017年4月のスタート時点で地域医療連携推進法人は4グループしか誕生しなかった。しかも、厚生労働省が自ら所管する国立病院、労災病院、JCHO病院の中から1病院も名乗りをあげていない。
この制度には幾つかの課題がある。例えば、その設立申請時に必要となる煩雑な事務負担や設立後に医師会など他者の介入を受けることである。これでは地域包括ケアで求められる多様なケアサービスを既に自力で提供している経営者にとってメリットがない。さらに合弁事業形式であれば、これを回避して地域医療連携推進法人と同様の目標を達成できる。また、地域医療連携推進法人に担保力がない状態では、その資金調達時に参加法人の理事長が連帯保証を求められる可能性が高い。
患者情報共有を核にした非営利ホールディングを
地域医療連携推進法人制度創設の議論の発端となったのは、私が提唱している「非営利ホールディング」という経営形態である。その狙いは、私有財産である持分あり医療法人のグループ形成ではなく、持分がなく法律上社会の公器である事業体を広域単位で経営統合させ、病床再編時の触媒にすること、患者情報共有のプラットフォームにすることにあった。
具体的には、人口50万人から100万人の広域医療圏毎に国公立病院、大学附属病院を核に非営利親会社を設立、そこに医療法人、社会医療法人、社会福祉法人が参加する仕組みである。もちろん地域に急性期ケアの中核を担う持分なし医療法人があれば、それが非営利親会社の中心になりえる。重要なのは、このグループ全体の仮想連結財務データを地域住民に開示して、セーフティネット事業体が健全に経営されていることを地域住民に示すことである。地域医療連携推進法人を議論した厚労省検討会では、出資や議決権配分が争点になっていた。しかし、非営利ホールディングの求心力は参加者間の信頼関係にあるのである。実態が営利の事業体の経営者たちにはこの非営利の本質を理解できない。
私が主張している非営利ホールディング事業体であれば、医療法人理事長を銀行から強制された連帯保証リスクから解放できる。医療法人が銀行から借りる時に非営利親会社が理事長にかわり連帯保証する。医療法人は非営利親会社に保証料を支払う必要があるが、これを財源に非営利親会社が医療法人に対してシステム投資補助金等を出す。こうすれば、実質的にコストゼロで医療法人理事長を連帯保証リスクから解放することになる。
先行した米国に学ぶ
米国には非営利ホールディングを経営形態とする大規模地域包括ケア事業体が約500存在する。この仕組みはIntegrated Healthcare Networkであり、IHNと略称されている。事業規模数千億円のものが多く、中には1兆円を超えるものもある。したがって、全米どこに行っても彼らが地域最大の雇用主である。
バージニア州ノーフォークに本部を置くセンタラヘルスケア(2016年収入51億ドル、職員数28,000名)は、その中で最も経営能力が高いと評価されている。IHNは原則オープンシステムであり、独立開業医たちも能力審査を受けた上でIHNの設備を利用できる。センタラを利用する医師は3,800名、その内訳は直接雇用医師900名、独立開業医2900名である。これらの医師全員がセンタラの診療録データベースの下で働いている。これは、患者がセンタラの医師を訪問すると同時に医療チームが組成されることを意味する。わが国にも都道府県のWEBサイトに医師・医療機関検索サイトがあるが、そこで見つけた医師や医療機関に行っても情報共有されていないこととは対照的である。
IHNでは、そこに参加する医師や施設の医療の質とコストについて詳細なベンチマーキング評価分析が行われている。センタラでは疾病ごとの臨床プロトコルの作成を専門別の医療チームに任せているが、それを順守することを求めていない。そのかわりに臨床プロトコルから乖離した医療を行った医師は仲間の医師たちに説明義務がある。また、評価が低かった医師には本人だけに成績表を示し、無償の指導教官を提供する。つまり、IHNは医師の生涯教育の巨大なフィールドなのである。
アベノミクスでは目玉政策としてデータヘルスを掲げている。データヘルスで中心的役割を担うのは保険者とされているが、それが成果をあげるには医療機関の協力が不可欠である。そのためには医療費が節約された場合にその一部を医療機関に配分する制度設計が求められる。センタラの保険部門では節約額の半分以上を独立開業医に還元する仕組みを運営開始している。このように保険者と医療機関が連結経営することは、英国、フランス、オーストラリアなど財源と医療提供体制が共に公中心の国では必然の仕組みである。
わが国でも現在、保険者を都道府県単位に集約することにより都道府県に財源と医療提供体制の両方の運営責任を負わせる改革を進めている。これにより保険者と医療機関が連結経営する仕組みの素地ができることになる。そのマネジメント成功のためには、都道府県の方針を実行する大規模地域包括ケア事業体を非営利ホールディングの形で作る必要があるのである。
大学病院の統合がトリガーに
私は、わが国で非営利ホールディング大規模地域包括ケア事業体構築が本格化するトリガーの一つは、国立大学付属病院の赤字ではないかと考えている。今年発表された将来推計人口によれば、1990年に203万人、2015年に122万人であった18歳人口は、2060年には73万人と減少が続く。このような状況下では現在全都道府県にある国立大学の統廃合は不可避である。当然大学側は統廃合に抵抗するが、付属病院の赤字が当初予算を上回る状況が続けば大学全体の存続が困難になる。
そうした事情を踏まえてか、2,016年10月、文部科学省が大学設置基準の一部を改正する省令を公表、附属病院を大学から分離することを認めた。これは、国立大学から分離された付属病院が非営利ホールディングに加わる環境が法的に整備されたことを意味する。(談)
松山幸弘(まつやま・ゆきひろ)氏
キヤノングローバル研究所研究主幹、マッコリー大学オーストラリア医療イノベーション研究所名誉教授。1975年東京大学経済学部卒業。生命保険会社、民間医療法人専務理事などを経て、2009年4月より現職。日本銀行金融研究所客員エコノミスト(1991年)、厚生省(当時)HIV疫学研究班員(1993年~1994年)、内閣府規制改革会議健康・医療ワーキンググループ専門委員(2013年~2015年)などを歴任。主な著作に「医療改革と経済成長」(日本医療企画、2010年)、「医療・介護改革の深層」(日本医療企画、2015年)などがある。