[対談] 医師患者関係を損なわない医療システムの在り方
日本の国民皆保険制度は、誰でも、いつでも、どこででも平等に医療が受けられる制度として、世界的にも評価されている。しかし、この制度を支えている医療財政の破綻が懸念されると同時に、医療現場での患者さんと医療者のトラブルが増えてきていることも大きな問題である。今回、参議院議員としてまた慶應義塾大学外科学教授として、医療の現場と国の制度の間をつなぐ役割を担っておられる古川俊治先生に、患者さんと医療者の信頼関係の今後をテーマにお話しをお聞きした。
患者さんと医療者の信頼関係の視点
高崎 医療の問題では、保険医療制度の財政問題が注目されがちですが、患者さんと医療者の関係も良好でなくなってきているように感じています。
古川 近年は患者さんの意識も変わってきて、以前のようなパターナリズムに基づく医療は過去のものとなった感があるのは事実です。
高崎 ただこのまま放置すると悪化の一途をたどり、医療そのものが成り立たなくなるのではと危惧しています。信頼関係を取り戻す努力が必要ではないでしょうか。
古川 その通りですね。
高崎 現在の問題は、医療環境を国民が十分理解できておらず、また医療者も国民の疑問について理解が足らない点にあると考えられます。そこで、そもそも保険制度の中で患者さんと医療機関はどのように位置づけられているのかお聞かせください。
古川 患者さんと医療者の間に信頼関係には、医療過誤の面と医療過誤以外の面の2つに分けられます。保険制度などの医療過誤以外の面を見れば、公的保険制度では薬機法(医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律)の承認制度があり、また健康保険法によって診療報酬が決められています。患者さんは健康保険を使うのであれば、いくら受けたい治療があっても承認されていない治療は自費でなければ受けられない、ということをよく理解していると思います。
そして、保険診療の法律上は患者さんと医療者の関係について特に記述はなく、医療機関と支払い側の関係を定めているだけです。医療保険制度自体には、良質な医療を一定の価格ですべからく提供するという理念はありますが、それ以上のものではなく、信頼関係には言及されていません。
ですから、医療過誤などの問題で患者さんと医療者の関係にかかわってくるのは、民法ということになります。
医師の応召義務と患者の協力義務
高崎 最近は患者さんに顧客意識が出てきて、いわゆるモンスターペイシェントの問題も多数聞かれるようになりました。しかし、医療機関では対応できることとできないことがあります。
古川 おっしゃるとおりです。診療以外で接遇が悪い、ちゃんと話を聞け、など大きな病院では苦情の件数は増えているでしょう。ただ、病院には一定のルールがありますから、受診する以上はそれにしたがっていただくことが基本ですね。
高崎 やはり平等の医療を提供しなければならない立場からすると、個人のメリットばかり追求されても病院としては対応できないということですね。
古川 そうです、他にも患者さんがいらっしゃるのですから。当然医療は公平に提供されなければなりませんので。
私にも経験があるのは、当直中に1人で患者さんを診ていると多くの方を長く待たせることになります。すると「緊急で来ているのにこんなに待たすのか、とんでもない病院だ」といったクレームがくることがあります。そんな時は「他の患者さんがいらっしゃるので、必要な順番でちゃんと診ています」と説明しますが、そこは医師として断固として「当院のルールに従いたくないなら、他の病院に行ってください」と対応すればよいと思います。
高崎 ただ、やはり十分な説明はしなければならないですね。医療側にも説明不足の面もかなりあるとは思っています。
古川 応召義務といいますが、例えば優先すべき患者さんが他にいるなどの場合には、応召義務は免除されると考えられます。
高崎 応召義務をどこまで考えればよいかというのも課題ですね。
古川 応召義務は明確に定まってはいないのですが、例えば患者さんがクレームを訴えることが日常で業務妨害に至り、その病院で診なければ生命の危険があるということでなければ、診察を断っても問題ありません。
高崎 それでは、他の病院を紹介するといったことでも義務を果たすことになるのですか。
古川 当院では無理なのでこちらの病院に行ってください、で問題はありません。
高崎 患者さんには何らかの義務はないのでしょうか。
古川 法律上は患者の義務への言及はありません。ただし、最高裁の判例では医療の提供を受けるにあたっては患者も協力対処しなければならないと言っています。
わが国の医療財政の展望
高崎 わが国の保険財政は保険料と自己負担分のみでは不足で、全体の4割程度を税金で賄っています。すると、医療行為も国の公共的枠組みの中にあると考えられないでしょうか。
古川 従来の医療財政は診療報酬をコントロールすることで成り立ち、患者さんの医療アクセスなどへの規制はありませんでした。
一方、今問題となっているのは、高額医薬品の問題です。医薬品については費用対効果の面からの検討を進めることになっています。わが国の財政で最も大きな問題は、医療と介護であることは明らかです。
高崎 すると国が管理しないと財政が成り立たなくなりますね。
古川 ここ十数年、懸命に管理しようとしているところですが、特にここ3年間は厳しかったですね。小泉政権時代に社会保障費を年2,200億円抑制するという方針が打ち出されましたが、現在その当時と似た状況になっています。
高崎 そのような状況下でも、接遇などの医療サービスの充実という流れがあります。しかし充実するには予算の裏付けが必要です。しかし、診療報酬のみでそれを行うのは非常に困難です。そこで、ある標準的な治療までは国が補償するけれど、それ以上の医療は患者さん自身の負担や民間の保険等を利用するという方向があってもよいと考えています。
古川 今後はそのような制度について模索が始まると思います。現在の医療の財源は税、保険料、患者自己負担しかないのです。しかし、消費税率を2%上げることも困難な状況にあります。
今後本当に厳しくなってくれば、高崎先生がおっしゃるように、最新の医療を受けたければ評価療養、特別な接遇を受けたければ選定療養という混合診療拡大の方向を考えざるを得なくなります。現在のところ未承認の新薬でも混合診療を認める制度として先進医療制度があります。先進医療と選定医療の2制度は今後対象を広げるべきではないかと考えています。
高崎 それは政治の力ですね。
古川 そうですね。厚生労働省は国民皆保険を推進する立場ですから、混合医療には踏み込めないです。政治家であれば、「国民皆保険でできることはもうギリギリまできています。それ以上の医療は民間の保険を使ってください」といえます。ここまで高齢化した国で、消費税率8%というのは他にありません。15%まで上げられれば財政も健全化に向かうのですが。
混合診療と医療への規制の在り方
高崎 混合診療が行えないことに関して、素朴に疑問を感じている国民は少なくないと思います。保険の範囲外だけ自分で負担するのがなぜできないか、ということですね。
古川 ただ、そこが微妙なところです。保険外併用医療制度が使えるようになると、再発がんの患者さんなどが藁をもすがる気持ちで、自由診療クリニックに押し寄せる事態も想定されます。自由診療クリニックの中には、根拠の明確でない治療を行うことも少なくないが実情です。現在はすべて自費扱いとなるので、抑制がかかっているともいえます。
高崎 混合診療を進める前に、治療法を審査してふるいにかける必要がありますね。
古川 現在の先進医療制度では、先進医療会議がふるい分けを行っています。今後とも先進医療の範囲を広げてゆくことも大切です。
最近、「臨床研究法」という法律を成立させましたが、国が承認する認定倫理審査会を設置し、一定の根拠があって、有効性・安全性が担保される新規医療のみを混合診療として認定するという枠組みがあってよいと考えています。
一方、現在の自由診療による治療については、全く審査は行われていません。これは大きな問題だと考えています。
高崎 それは本当に問題ですね。患者さんが困ってしまいます。
古川 この問題に関連して「再生医療法」を成立させました。従来再生医療として細胞療法が自由に行われていましたが、この法律により認定再生医療等委員会に報告して承認を受けないと医療を行えないようになりました。この対象には、自由診療クリニックも入っています。そして、このような制度を他の治療法にも広げる必要があります。
今後は、医薬品と医療機器に関連する自由診療、さらには手術手技についても何らかの審査が行われることも考えられます。
高崎 それは、医療界から反発がありそうですね。
古川 もちろんです。どこまでが医療者の裁量か、という点で議論が深まるのではないでしょうか。
もう一点、現在の学会では効果の根拠が薄いものであっても、発表が可能なことが多いです。すると「○○学会で発表した」ことを看板に掲げて、自由診療を行うクリニックもあります。その意味で学会の審査のあり方まで考えなければなりませんが、この線引きはわれわれ医療者の間でも難しいのではないでしょうか。
同じように医学教育を受けても、その後いろいろな経験をしてゆく中で、われわれの知らないような治療法を探索している人もいますから、何が正しいかということはわれわれの信念で思っているだけで、見ているものが違えば答えも違ってくるということはあり得ます。
医師の裁量による治療にもエビデンスは必要
高崎 近年、ほとんどの疾患に対する診療ガイドラインが作成されています。医療過誤訴訟では、ガイドラインに沿った医療が行われたかどうかも争点になるかと思います。すると、医師は自己防御のためガイドラインに忠実になり、将来自己裁量が許されないという風潮を招くのではないでしょうか。
古川 われわれ癌の外科医は、早期癌であれば手術適応と考えますが、手術後ほどなく死亡する患者さんもみることがあります。このような時、手術しない方が延命できたのではと考えることもあります。どちらの対応が正しいのか、客観的に論証することは難しいですね。
そのような症例が訴訟の対象となった際、それを裁判所がどうみるか。今はガイドラインがあるので、標準療法とされているものを選択したかどうかを事後的に判断することになります。ただし、裁判所は治療選択のどちらが正しかったかは判断できません。そこで、治療に一定の根拠があったか程度の判断になるでしょう。それは逆にいうと、最終的には説明義務に行き着くのが一般的です。
高崎 患者さんの方にもガイドラインの知識が相当ありますね。すると患者さんも医師がガイドラインに沿った治療をしなかったことが分かります。しかし、その方がよりよい選択であることもある訳です。
古川 はい、もちろんです。ただし、いくら患者さんがガイドラインから外れていると考えても、事故がない限り訴訟にはならないです。ですから、法律上は事前の規制性はガイドラインには一切なく、事後的に裁判の基準になる可能性があるということです。
高崎 すると医師の立場からは、ガイドラインに沿っていれば無難ということになり、必ずしも最良の治療選択肢にならないこともあり得ますね。
古川 ガイドラインの推奨以外の治療を選択するのであれば、明確な根拠があるべきでしょう。ガイドラインはエビデンスを集積したものですから。
高崎 医師の自己裁量も、結局は何らかのエビデンスが必要ということですね。
古川 おっしゃる通りです。エビデンスがあれば、仮に訴訟になった場合でも医師の過失はなかったという方向になります。
インフォームド・コンセントと承諾書
高崎 治療を進めるうえで、インフォームド・コンセントともに承諾書を作成します。昨今は、なんでも承諾書が必要となってきて、これがかえって医師患者関係を損なっているのではないかと感じています。
古川 裁判所は、承諾書の内容のすべてを患者さんが理解しているとは考えない場合があります。例えば高齢の患者さんでは、難しい内容が書いてあったら分かるのは無理です。それでも、一応同意する、「これでよいですね」という確認なのです。治療開始の前にもう一度立ち止まってよいかどうかを確認するという行為なのです。承諾書が多くなって煩雑ですが、同意したという記録があれば、説明してという蓋然性が高くなるわけです。
高崎 今後、承諾書がなければ何もできないという事態が来るのではという懸念があります。
古川 特にリスクが高い治療では必要です。例えばヨード剤では、アナフィラキシーの危険があるので、承諾書を取っておくことも大切です。
ただ、高崎先生がおっしゃるように、承諾書を書くことで患者さんが、「こんな危ないことをやるのか」と感じて信頼関係を損なうという可能性はあります。
高崎 患者さんの中には、医師の説明を録音する人もいます。これはかなりのプレッシャーになりますね。
古川 逆の見方をすると、説明したという記録が残るので、ありがたいともいえます。また、説明を何度かしているうちに信頼関係が生まれ、ほとんど読まずに承諾書にサインする患者さんも出てきます。
高崎 しかし、処置のたびに家族まで呼び出すのは家族にとっても負担になります。
古川 現在も、いちいち全部とっている訳ではなく、個々の処置も包括的同意の中に入っていると考えてよいでしょう。ただリスクの高い処置に関しては、とっておこうということだと思います。
高崎 医師の中には自分がよかれと思ってやっているのだから、と考える人もいると思うのですが。
古川 そのような人は、患者さんに誤解されて訴えられますね。
高崎 もう、そのような時代ではないということですね。
古川 そうですね。若い医師たちは、今の状況に慣れています。
高崎 本日は、医療財政から医師患者関係の問題まで幅広くお話しいただけました。古川先生ありがとうございました。
プロフィール
ゲスト:古川俊治先生(ふるかわ・としはる)
1963年埼玉県出身。81年、開成高校から慶應義塾大学医学部へ進学。87年に卒業し、外科医の道に進む。病院勤務の傍ら、文学部で社会学を学び(93年に卒業)、法学部で法律学を学び(96年)、96年に司法試験を初回受験で合格。99年に弁護士登録。その後慶應義塾大学医学部へ戻り、ロボット医療、遠隔医療などの先端外科学研究に従事。弁護士としては医療、薬事、公害・環境、生物科学特許の問題に取り組む。04年に慶應義塾大学法学研究科(法科大学院)と医学部外科の助教授に就任。07年4月に両学部の教授に就任。07年7月に参議院議員通常選挙に当選(埼玉県選挙区)。13年7月に2期めの当選を果たす。参議院財政金融委員長、自由民主党厚生労働部会長、法務部会長、科学技術イノベーション戦略調査会事務局長等を歴任。
https://www.toshiharu-furukawa.jp/
ホスト:髙崎 健(たかさき・けん)
1967年千葉大学医学部卒業。94年東京女子医科大学消化器病センター主任教授。06年同名誉教授。08年に牛久愛和総合病院院長に就任、15年に同名誉院長。主として消化器がんの診療に関わり、肝胆膵外科領域で種々の新しい術式、治療法の開発を進めてきた。現在日本医療学会理事長として真に国民のためになる医療の実現のための活動を続ける。また国際医療交流促進活動にも力を注いでいる。