人工知能時代の医学教育と日本医科大学の選択
1876年に設立された「済生学舎」をルーツとする国内最古の私立大学である日本医科大学が現代の最先端技術である人工知能やロボット工学に焦点をあてた医学教育に乗り出している。人工知能の技術の進捗は医療、医学をどのように変えようとしているのか。そのような状況にあって、医学教育はどうあるべきか。日本医科大学の弦間昭彦学長と人工知能のスペシャリストである京都大学大学院情報学研究科の西田豊明教授に語り合ってもらった。
弦間 私は2015年に日本医科大学の学長に就任しました。そのときに、これからの医学教育に何が必要となるかを考えましたところ、人工知能、仮想現実、ロボット・テクノロジーの3分野がこれからの医療、医学には必須なものであるだろうし、日本医科大学としても力を入れて行かなければならないとの結論に達しました。本日は人工知能のスペシャリストであり、特に人工知能と人間とのコミュニケーションのあり方を研究されている京都大学の西田先生をお招きして、人工知能時代の医学教育のあり方を探っていきたいと思います。西田先生、まず現在の人工知能をめぐる情勢をどのように捉えていますか。
西田 現代は人工知能の第3次ブームに相当します。1950年代後半から60年代の第1次ブームは、コンピュータで推論・探索をすることで特定の問題を解くことに関心が集まりましたが、現実の複雑な問題が解けないことが明らかになり、ブームは終息しました。80年代になると知識を取り入れることで賢いコンピュータを作ることができるようになり、エキスパートシステムと呼ばれる実用を念頭においたシステムが作られましたが、知識の入力、管理に大きな手間を必要とすることが明らかになるにつれて熱も冷めました。
1990年代になると、インターネットの普及とともに検索エンジンが登場し、大量のデータが利用可能になり始めました。これを背景に、機械学習や、対象の特徴を自力で探り出して高度な学習をするディープラーニングなどの技術が急速に発展し、広がってきました。その結果、アルファ碁に象徴される、人間を超えた人工知能が登場し、大いに注目されているというのが現在の状況です。
弦間 大量の文献データや患者さんから得られるデータをもとに正しい診断を下し、最も有効な治療を選択するプレシジョン・メディシン(精密医療)の追究が、現代の医療における大きなテーマです。その意味では医療も人工知能もデータをどのように解釈し、価値ある選択をするかという点で共通点がありそうです。しかし、具体的に医療の分野で人工知能がどのような役割を果たすのかというとまだ見えないところもあります。
人間と人工知能との知の共通基盤
西田 実はそこが大きな問題です。現在実現している人工知能は、限定された専門的な領域で高い能力を発揮するか、広い領域で浅い仕事をするかのいずれかです。これから人工知能がいつごろまでにどこまでの能力を持つようになるかは専門家の間でも議論が分かれます。いずれにせよ、その時々の人工知能をうまく使いこなして、人手のかかることや間違ってはいけないことを人工知能に代行させることで、人間はじっくりと物事を考える側にまわる時代が必然的に来ると思います。そのためには、人間と人工知能の間で知の共通基盤を作ることが基本になると思います。
弦間 人間は人工知能をどのように使っていくのか、そのためには人間と人工知能はどこが違うのかを考えると、ビッグデータをあっという間に処理してしまう、そのような能力は人工知能が勝っている。一方で人間が持つ柔軟性は人工知能に勝るのではないかと思います。医学では臨床推論に基づいていろいろな判断をしますが、その推論に必要な明確な証拠(エビデンス)が不十分な場合もあります。一つ一つの問題について臨床試験を行って検証することはできませんから。でも医師は判断を下さなければならない局面があります。経験や医学的な感覚や直感というものが重い意味を持つことがある。そういう柔軟性が現時点では人間、もしくは医師の強みかなと感じています。
西田 それは本質的なお話です。人工知能研究者の立場から言うと、人工知能は人間の行う情報処理をデータから読み取ってまねるシミュレーション・マシーンです。その精度が高まり、シミュレーションだけでなく一般化する能力までが実現されると、単なる物まねマシーンからスーパー知能に変身して、アルファ碁のように、人間を超える手を打ち、人間の次元を超えるようになってきます。
一方でまだ不得手な部分もあります。それは、有能な秘書のように、雑多で不確実性の多い混沌とした世界のなかで、一定の価値観のもとで安心できる調和した状況を作り出す能力です。また、現在の人工知能はわれわれの世界を多少は知っているようにみえる振る舞いをするものの、理屈や気持ちを深く分かっているとは言いがたい状況です。画像を解析して診断情報を出すことはできますが、人間の体や心がどのようなものかはほとんどわかっていません。患者の快不快は推定できても、その奥で人がどう感じ、何を考えているか、それがどう変わっていくかは理解できていません。
弦間 現時点では人工知能は人間のサポートシステムということですね。画像診断や患者さんのモニタリングなど医師の負担を軽くする用途は想像がつきます。
時代を先取りした「克己殉公」
弦間 日本医科大学の学是に「克己殉公」があります。社会のために己を使えという意味ですが、これは人工知能の時代になっても生きていく教えだと考えています。
西田 それは時代を先取りしたお考えだと思います。これまでの大学では、座学で基本的な知識を得て、実践で試すというスタイルが主流でした。しかし、現在では、実学でまず現場を体験して、自分にどのような貢献ができるかと動機づけをしてから、学びを深化するスタイルが広がり始めています。人工知能とのつき合い方も同様だと思います。社会に役立つことを現場で始めてみて、うまくできたことはどんどん人工知能に教え込んで代行させ、自分は自分にしかできないことに腰をすえて取り組む、といったスタイルがこれからの主流になると思います。
弦間 そう言っていただくと心強い限りです。現在の日本医科大学の取り組みをお話します。日本医科大学は単科大学ですから人工知能の教育や研究ができる人材には限りがあります。一方で単科大学の強みというものもあり、それはしかるべき知的資源を持った理工系大学や組織と身軽に連携できる点です。医学教育は生命科学が中心でしたが、これからは人工知能をはじめとした情報科学の比重が高くなりますから、そこに精通した医師の養成は避けて通れません。今後の医療、医学に欠かせない臨床研究統計、バイオインフォマティクス、臨床応用ロボットの研究を東京理科大学や早稲田大学などと連携して進めています。必要とあれば、これらの大学の研究室に学生が行って、研究する体制を整えました。電子黒板を46台入れ、Small group leaningに活用して電子情報を蓄積したり、救急などの医療情報サーバを整備して人工知能につなげる予定です。病理診断やレントゲン画像などを人工知能を使った読影について企業と共同で研究をする体制を築いています。
西田 私は人工知能時代の人間の大きな役割は創造的破壊者であることだと考えております。限られた枠の中のパフォーマンスは人間よりも人工知能が優れているでしょう。むしろ人間の役割はその枠組みを壊して、新しい枠組みを構築することだと思います。その意味では日本医科大学が目指す新しい医師の養成には非常に興味深く感じています。
プロフィール
日本医科大学 学長
弦間 昭彦(げんまあきひこ)氏
1983年、日本医科大学卒業。89年、同大学院修了。国立がんセンター研究所病理部、慈山会医学研究所付属坪井病院内科医長、米国国立がん研究所留学などを経て、2008年、日本医科大学主任教授、13年、同大学医学部長。15年10月に学長に就任、現在に至る。
京都大学大学院情報学研究科 教授
西田 豊明(にしだとよあき)氏
1977年京都大学工学部卒業。79年同大学大学院修士課程修了。93年に奈良先端科学技術大学大学院教授、2001年東京大学大学院情報理工学系研究科教授を経て、04年京都大学大学院情報学研究科教授、現在に至る。総務省「AIネットワーク社会推進会議」構成員、日本学術会議連携会員、情報処理学会フェロー、電子情報通信学会フェロー。